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ダンロップフェニックストーナメント 2005

平塚哲二「父も力を貸してくれるといい」

前日初日はティショットを5回も林に打ち込んだが、この日は2回にとどめることができた。
5番で8メートルのバーディチャンスも決めて、一時はウッズ、デュバルらと首位に並ぶ大健闘は4位タイ浮上。

「今日はまずまず、思ったところに打つことができたから。ここで置いていかれると、日本のレベルは低いといわれるし、ウッズには負けたくないから」。
日本人選手の意地を見せ、優勝争いに加わった。

一昨年には3位に入った今大会は、平塚にとって思い入れの強いトーナメントでもある。日向灘に面したシーサイドコースは松林によってセパレートされ、常緑のベント芝は目に鮮やか。そこに白磁のバンカーがアクセントを添える。

父・央さんに、なかば強制的にクラブを握らされ、ゴルフを始めたのは10歳のとき。嫌々ながらの練習も、このダンロップフェニックスをテレビで見て心が動いた。
子供ながらにコースの美しさに目を奪われて、「俺も、こんなところでラウンドしてみたい」。
以来、憧れの試合となった。

初出場は、初シード入りを果たした2002年だ。
狭いフェアウェーに、アンジュレーションのあるグリーン。「とにかく、ティショットを確実にフェアウェーに置かないとピンを狙えない」。
絡みつく深いラフは、「グリーン周りに行っても安心できない」。

幼少時代の期待を裏切らないやり甲斐のあるコースは、毎年ここに来るたびに闘争心を燃やされる。

父親との思い出も詰まっている。
今年4月にガンで亡くなった央さんが、生前、唯一プレーしたことのあるトーナメントコースがここフェニックスだった。
そのときの記憶を頼りに、毎年トーナメント観戦にやってきて、プレーを終えた息子にコース攻略を伝授するのが楽しみだった。

夜は親子で宮崎の街に繰り出し、酒を酌み交わしながら「あそこのホールは、こうやってプレーせんとあかんやないか」と、講釈をたれる。
「自分では、80も切れないオヤジが、ですよ(笑)。そうやって、あ〜だこ〜だ言うのが好きだったんですね」。

そんな父が、いつも口をすっぱくして言っていたのが「ここでは、林に入れるな!」ということ。
“遺言”を胸に、「最後まで一生懸命、やりたい」と平塚。
「・・・父も、力を貸してくれるといいけど」と、笑った。

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