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アジアパシフィックオープンゴルフチャンピオンシップ パナソニックオープン 2011

2011年のアジア太平洋地域NO.1は平塚哲二

地元への愛が生んだ逆転劇だった。首位で並んで迎えた18番。最後は3メートルのパーセーブも「打つ前から入りそう」。これがウィニングパットになった。そのとき、最終組はまだ3ホールを残していたが「初めからそうしようと決めていた」。確信のガッツポーズも、ばっちりキマッた。

出身の京都から、23歳で引っ越した。大会の地元・滋賀県は、コース近隣の甲賀カントリー倶楽部の所属。会場の琵琶湖カントリー倶楽部は、大津市の自宅から車でわずか20分。
「初めて回ったのは中1のとき」。県内最古の名門は、今でも年に10回はラウンドする。「所属コースの次によく回る」。4回大会の開催が決まった瞬間に思った。「優勝争いは、せんといかん」。

やはり近くのミナミ草津ゴルフガーデンほか、京都や名古屋でも展開するレッスン会は、哲二の名前をもじって名付けた。「クラブT’Sゴルフスクール」。すでに生徒の延べ人数は、2000人を超えている。地元のヒーローが「惨敗では、イメージ悪い」。地元で無様な戦いは、絶対に許されない。「絶対に、ここで勝つ」とあえて重圧を背負って臨んだ大会だった。

勝手知ったる庭は、しかし難解なグリーンに苦しんだ。「普段と違う。速さも硬さもピン位置も。頭がおかしくなってくる」。
4打差の6位タイからスタートした最終日も1番で3パット。さらに6番で、またしても・・・。
「優勝ないな」と、萎えかけた。しかし「体は勝手に反応した」。回り慣れたコースは、「考えなくても自然と、安全な方へ逃げていた」。奧から急勾配のグリーンも「絶対に手前から。上につけたら終わりやから」と、攻略のセオリーも染みついていた。
「同じホールで2個も3個も攻め方がある。打ったらあかんところも分かってる」と難コースで地の利を駆使してどうにかイーブンパーで折り返すと、サンデーバックナインは圧巻だった。

3打差で迎えた11番。164ヤードの2打目はバンカーから8番アイアンで、直接入れた。パー4で奇跡のイーグルに「勝てる、行ける」と、がぜんその気に。13番でついに首位獲り。16番は5メートルのバーディが決定打となった。17番は「一番きつい」。1メートルのピンチもしのいだ。「勝てる」と確信した通算8アンダーは、確かに3打差つける圧勝だった。

1年も前から照準を合わせて勝ち取った。「ものすごい重かった。でもいま、ものすごい軽くなりました」と、5歳になる長男・仁くんを抱き上げ破顔一笑。有言実行のツアー通算6勝目は、「今までで一番嬉しい。最高です!!」。何より愛する地元ファンの祝福が心地良い。

昨季はアジアンツアーで3勝を挙げて、今大会の出場資格も“アジア枠”。待ちわびた日本で2年ぶりの勝ち星も、「やっぱりアジアで勝ってしもうた」。
2009年からの掛け持ち参戦。無理がたたって、ちかごろ左ヒジに疲労性の腫瘍が出来た。それでも40歳を迎える今年もなお、体にムチ打つのは「ゴルフはやり続けるから上手くなる」との信念があるから。「やめたら途端にヘタになる」との危惧があるから。

青木功やジャンボ尾崎が40歳からますますピークを迎えたと、思うにつけても「俺はまだまだ甘い。箸を持つように、常にトーナメントに出ていたい」と、休みも惜しんで海を渡る。「アジアには、負けたくないやつが一杯いる」と、闘志を剥き出す。
「言葉が通じない分、弱かったら向こうでは、それだけで上から目線で見られるから。そういうのが大ッ嫌い」と、天性の負けず嫌いは、今度こそライバルたちを上から見下ろす。

獲得賞金が、両ツアーに加算される今大会。これで日本は賞金ランク5位に、アジアは1位に。「狙える位置に来たので、賞金王を目指してみたい」。
いっそ史上初のWキングも夢ではない。「様子を見ながら、うまくいきそうな方を選びます。賞金がデカイところに出ていって、稼げるだけ稼ぎます。貪欲に行く」。
根っからの勝負師はアジアでも日本でも、どこにいたってしたたかに、がむしゃらに頂点だけを目指して歩く。

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