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中日クラウンズ 2026

“ジャンボ愛”を全身で表現。池田勇太が11年来のスリータックで和合を闊歩

昨年12月に亡くなったジャンボ尾崎さんが、この「中日クラウンズ」を初めて勝ったのは40歳。1987年のことだった。
その後、48歳の1995年から続けた3連覇を含む最多の5勝を達成した(青木功と並ぶ)。

偉業をたたえて大会では、会場の各所に一目でジャンボさんの足跡が分かる巨大パネルを設置。
功績を伝えている。

池田勇太(いけだ・ゆうた)はそれを眺めるたびに、胸がジン、とする。




「大会として、ジャンボさんの存在を大切にされていたんだな、というのがよくわかる。いちファンとして、それが凄く嬉しい」と、噛み締める。

幼少期から、ジャンボさんに憧れた。
「尊敬、夢を与えてくれる人、師匠、スーパースター、そのすべて」。
小学時代から、ジャンボさんオリジナルブランドのセーターを着こなし、パンツもトレードマークのスリータックで通学した。
裾をはためかせて歩く姿を完コピし、プロ転向後も2016年に契約メーカーが変わるまで、ジャンボさんスタイルを貫いた。

訃報を聞いたのは、自身も40歳を迎えた誕生日(12月22日)の翌日だった。
昨季は、3季ぶりの賞金シードも復活し「ここからもう1回リスタート」と、誓った直後の悲報に涙した。

「ジャンボさんへの愛を伝えたい」。

追悼の気持ちを表現したい一心で、今季からまたスリータックパンツを復刻。
契約メーカー「muta MARINE(ムータマリン)」の協力を得て、実に11年ぶりの着用が実現した。

ジャンボさんの永久欠番「33」が刺繍された特注品は、石川遼(いしかわ・りょう)と賞金レースを争い年間4勝(2010年)するなど、勝ち星を重ねていた時期を呼び覚ますようで、「歩きやすい、履きやすい」と、心地よく体に馴染む。

生前、ジャンボさんも大変心配してくれた
「顎偏位症」の治療も昨年の11月末に完了し、あとは術後の身体にスイングやクラブを合わせていくだけという段階に来ている。

「治療が終わってから自分でも気づくんだけど、治療中と今の体は全く別物。他人の体でゴルフをやっていたようなものだった。それだけ狂っていたんだ、と。よくあの身体でやっていたな、と。スイングや道具の調整はまだまだ必要で、今もかなりとっかえひっかえしているけど、5割は越えてはいる」。
エースキャディの佐野木さんを介して聞いたジャンボさんの遺言「死而後已(しにしてのちやむ)」を胸に格闘を続ける。

年が明けて、2月4日にジャンボさんの地元徳島・海南市で行われた納骨式にも参加し、「今年、必ず勝ってまた報告にきます」と、墓前に誓った。

改めて、ジャンボさんがここ和合を初攻略したのも40歳(1987年)だったと思えば、おのずと奮い立つ。
「最後の大一番、じゃないけど勝負ですよね、この10年はね」。
偉大な足跡をたどる気持ちで和合を歩いている。

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