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東建ホームメイトカップ 2026
阿久津が決意、池田が感謝「死而後已(しにしてのちやむ)」ジャンボ尾崎さんの追悼セレモニーを実施
JGTOとジャパンゴルフツアー選手会はプロアマ日の8日、スタート前の1番ティで、故・ジャンボ尾崎氏の追悼セレモニーを行った。
圧倒的最多のツアー通算94勝のうち、この東建ホームメイトカップは、鹿児島県の祁答院(けどういん)ゴルフ倶楽部で行われていた1997年と、99年の2度制覇。2位は94年と98年とで2回。
1年を占う開幕戦においても、常にジャンボさんは話題の中心にいて輝いていた。
この日のプロアマ戦に出場する選手たちが一堂に会して、全員で黙とう。
選手会長の阿久津未来也(あくつ・みきや)と、生前よりジャンボさんと交流の深かった池田勇太(いけだ・ゆうた)が弔辞を捧げたあと、参加18選手が3組に分かれて、6人ずついっせいにジャンボさんが愛用していたオウンネームボールを放ち、天国のジャンボさんに向けて思いを届けた。
オウンネームボールには、「JUMBO」の刻印と、ジャンボさんがこよなく愛した長嶋茂雄氏の永久欠番「3」の数字が刻印してある。
池田にとって、ジャンボさんは「尊敬、夢を与えてくれる人、師匠、スーパースター、そのすべて」。
2009年の「日本プロ」で初優勝を飾った直後に、意を決して、ジャンボさん愛用の「3」を、自身もラッキーナンバーとして使わせていただきたい、と申し出たことがあったそうだ。
「ん、永久欠番だぞ」と言いながらも、快諾。「信じられないほど嬉しかった」と、生前の思い出を振り返る。
17歳の2003年「ブリヂストンオープン」で初ラウンドした際の感動と喜び。
また最後に面会したのは2年前。
顎関節症からくる故障に苦しむ池田にジャンボさんは言ってくれたそうだ。
「ゴルフは体技心、だからまず体を治せ。そして技術を学びに来い」との労いに、「どん底の私がどれだけ励まされたことか」。
そして、死を覚悟したジャンボさんが、エースキャディの佐野木さんを介して池田に送った遺言。
「死而後已(しにしてのちやむ)」。
「私の決意です」と池田。
3季ぶりのシード復活を果たした今季、徳島県宍喰(現在の海陽町)で眠るジャンボさんに、復活のツアー通算22勝を報告しに行くのが目標だ。
選手会長の阿久津は冒頭の挨拶で、「偉大なジャンボさんに感謝の意を伝えると同時に、これからの男子ゴルフの発展を決意する場でもあると思っています」と、就任1年目の誓いを述べた。
この日の追悼式には、ジャンボさんの長男・智春さんも列席。
遠く千葉のご自宅から駆け付け「生前、父は男子ゴルフのさらなる盛り上がりを願っておりました。男子ならではの迫力、そして技術、卓越した試合展開を期待しております」と、父上の気持ちを代弁してくださった。
この日、大切なプロアマ戦の会場を、ジャンボさん追悼の場として提供してくださった主催者に感謝をこめて、プロアマ戦の参加ゲスト全員に、ジャンボさんのオウンネームボールを贈呈した。
⛳追悼ショットを打った選手
阿久津未来也、池田勇太、石坂友宏、市原弘大、出水田大二郎、岩﨑亜久竜、岩田寛、大岩龍一、上井邦浩、木下稜介、小平智、佐藤大平、下家秀琉、永野竜太郎、西山大広、原敏之、堀川未来夢、吉田泰基(50音順)












