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参列者2000人超、完全コピーで涙ぐむ人の姿も「ジャンボ尾崎さんお別れの会」

昨年12月23日に78歳で亡くなったジャンボ尾崎こと尾崎将司さんの「お別れの会」が16日、都内の帝国ホテルで行われた。

遺影は、富士山の裾野に広がるゴルフコースをかたどった祭壇の頂上に飾られた。最後の優勝となった通算113勝目の「ANAオープン(2002年)」時のもので、史上最年長のVポーズをとる55歳のジャンボさんの笑顔は得意満面。




数々の名シーンをおさめてきた岩井康博カメラマンによる渾身の一枚が、大勢の参列者を迎えた。


日本プロゴルフ協会(PGA)の明神正嗣・会長と、ジャパンゴルフツアー選手会(JGTPC)会長の阿久津未来也と、一般社団法人日本ゴルフツアー機構(JGTO)の諸星裕が発起人となり、青木功が同・代表をつとめた。



黙とうのあと、エースキャディの佐野木計至氏と共に、青木も心をこめて弔辞を読み上げたが、途中から声がかすれた。




「本当は喋りたくない。言葉はジャンボと2人の中にしまっておきたい。それくらい大事な人」。

無二のライバルでありながら、無二の親友だった。
「私のゴルフが変わるきっかけになったのも事実。彼の存在感は語り尽くせない」。

一言二言かわすだけで、互いに十を知った。
「あ・うんの呼吸で分かり合えた。ありがとうのひとことしかない。ゆっくり一杯やりながら、語り合いたかった。もう会えないのが悔しい」と、涙ながらに遺影を見上げた。

指名献花では、ジャンボさんの所属先ISPSの半田会長をはじめ、プロ野球界からは王貞治さん、山本浩二さん、田淵幸一さん、江本孟紀さん、原辰徳さん、江川卓さんらが追悼した。



徳島・海南高の野球部エースとして1964年のセンバツでV投手に就きながら、その後プロ野球から、プロゴルフに転身したジャンボさん。
「いろんな意味で型破りな人だった」と、王さん。
「甲子園で優勝したから野球界でもと思っていたが、まさか、ゴルフでこんなすごい選手になるとは思わなかった」(王さん)


原さんは、よく読売巨人軍のキャンプにも顔を出していたジャンボさんを思い出す。

「一緒にバッティングゲージで打ったりして。今詰まったな、手痛いだろう、と僕らは分かるだんだけど見せない。非常にファイティングスピリットがあった」と、振り返った。
よく一緒にゴルフもしたといい、「長きにわたって日本を代表するゴルファーであり、我々の憧れであり、ヒーローでした」と、別れを惜しんだ。

シンガーソングライターの松山千春さんは、30年来の付き合いがあった。ジャンボさんは歌も大好きで、カラオケでよくデュエットもした。
「ゴルフの歴史を変えた男。凄いな、と思っていましたけど。でも俺が歌い始めたら、ジャンボが躍り始めるんですよ」などとおちゃめな一面も明かしてくれた。



「ボーリングも大好きで、プロゴルファーか、プロボウラーか」。松山さんに迷いを打ち明けたこともあったそうだが「プロゴルファーを選んで大成功してくれてよかった」と、改めて偉業をたたえた。

ゴルフ界からはJLPGAのレジェンド・岡本綾子さんをはじめ、PGAとJGTOからは中嶋常幸、倉本昌弘、丸山茂樹、片山 晋呉、谷原 秀人、池田勇太、石川遼らが、指名献花で哀悼した。



    「ジャンボさんは男の中の男でした」と、石川。
    プロ転向してすぐ、ジャンボ邸に通い詰めた日々を振り返り、「男としての強さを見せていただきながら、優しく指導していただきました。簡単に答えを教えるのではなく、自分で悩むこと、人としての深みを教えていただいた」と、回顧。

    「ジャンボさんの遺志を少しでも受け継いで、日本のゴルフ界がこれからもっともっと強く明るくなっていくように、残された者たちで頑張っていきたいと思います」と、震える声で決意を述べた。

    丸山は、叱られた日の思い出を語り、その生きざまを「ゴルフ界のサムライ」と表現。また、今でいう弾道測定器を思いつき、本当に作ってしまってしまうなど、ジャンボさんの人並み外れた天才肌を振り返り、「今思うと恐ろしい存在でした。こんな方は二度と現れない」と、改めてひれ伏した。
    「本当に残念で仕方ない」と、惜別した。



    中嶋が、最初にジャンボさんと言葉を交わしたのはまだ中嶋がトップアマとして活動していた19歳の時だそうだ。

    「もっと体を鍛えるんだぞ、と。このままではだめと思って体も技術も作ったし、ジャンボさんに勝とうと思って努力もしました。ジャンボさんがいなければ、ここまで頑張れていない」と中嶋。

    その後、中嶋もプロとなり、“青木、尾崎”に対抗する存在として、「AON」と並び称され共に君臨。

    数々の名勝負を作った。
    1ストロークでジャンボさんに負けた1988年と、ジャンボさんの3連覇を阻止した1990年の日本オープンを思い出の大会に挙げ、「大きな壁として立ちはだかってくれたし、壁にぶつかって追いつき、超えていくのが楽しみでもあった」と、噛み締めた。

    亡くなる前日にジャンボさんに面会を申し出たところ「おやじは頑張っています」と、長男の智春さんにやんわりと断られたが、今となっては会えなくてよかったかもしれない、と中嶋はちょっぴり思っている。

    「僕の記憶の中では元気なジャンボさんしか残っていないから…」(中嶋)。


    式典には、ほかにもジャック・ニクラウスや、トム・ワトソンら、世界の名だたる偉人たちもビデオレターで在りし日を偲ぶなど、「改めて、うちのオヤジの偉大さを知りました」と長男で、喪主の智春さん。

    智春さんに言った最後の言葉は「我が人生に悔いなし」だった。
    「好きなことをやって、わがままをたくさん言って、好きなものをたくさん食べて。こんな素晴らしい人生に何の悔いもない、と言ってオヤジは去りました」と、喪主の挨拶で明かした。

    午後から一般献花も行われたが開始の1時間以上も前から長蛇の列ができ、45分前倒しで献花台のドアを開けた。
    長く襟足を伸ばしたトレードマークの髪型と、紫色を基調にした勝負服を着用して祭壇に向かうなど、ジャンボさん愛を完コピで表現するファンの方々。



    会場に飾られた思い出の写真や、愛用のクラブの前に立ち尽くして涙ぐむ人たちの姿も。
    関係者による午前中の式典も、午後からの一般献花も共に1000人超が駆けつけ、献花台は真っ白なカーネーションで埋もれた。

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