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「謹んで、ジャンボさんに申し上げます。絶対に忘れない」青木功、弔辞全文

3月16日に、ジャンボ尾崎こと尾崎将司さんの「お別れの会」を開催。

ジャンボさんの生涯のライバルで、大親友の青木功を発起人代表とし、公益社団法人日本プロゴルフ協会(PGA)ならびに、一般社団法人日本ゴルフツアー機構(JGTO)とジャパンゴルフツアー選手会(JGTPC)の合同で執り行ったもので、都内の帝国ホテルでの第一部式典と、二部の一般献花、共に本当にたくさんのみなさまが、ジャンボさんにお別れを伝えに来てくださいました。

この場をお借りして、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

一部の式典では、エースキャディの佐野木計至さんと共に、発起人代表の青木もジャンボさんに弔辞を読みました。



昨年秋に、ジャンボさんはもうあまり長くない…と知って泣き、壮絶な闘病の末に、天国に逝ったと聞いて号泣したという青木。
涙なくしては語れないジャンボさんとの思い出と、ジャンボさんへの溢れる思いを捧げました。

ここに謹んで、弔辞全文を紹介させていただきます。



謹んでジャンボさんの御霊前に申し上げます。

ジャンボ

今、ここで自分がジャンボのお別れ会の弔辞をすることなど、全く考えてもなかった。
昨年末、突然逝ってしまったという知らせを受け、自分は言葉がなかった。
大切な戦友を失い、深い悲しみと大きな喪失感でいっぱいになった。

体調を崩している事は聞いていたので、昨年秋に智春くんにジャンボに会いたいとお願いしたが、残念ながらかなわず。

でも亡くなった後、弔問に行った時に、智春くんから聞いた辛い闘病生活での治療に対する考え方、その間親族や弟子に残した数々のコメントを聞き、最後までお前さんらしく「ジャンボ尾崎」を貫いた生き様に、改めて、ジャンボの存在の大きさや優しさを感じ、今は少しずつだけど、現実を受け入れている。


ジャンボの存在は、自分のゴルフ人生を様々な形で、進化させてくれた。

圧倒的な飛距離でデビューした時、そしてメタルヘッドのドライバーを使いだした時、正直この時は誰もジャンボには敵わなくなると思った。

でも、そんな越えるべき大きな壁のおかげで、自分のゴルフをどのように進化させ、極めるか、そしてその為に限界を超える努力を重ね、その結果、青木功のゴルフが確立出来た。

ある時、ジャンボに「お前さんがいなかったら、俺はとっくに終わっていた」と言ったけど、本当にその通りなんだよ。

自分のプロ入り五十周年のパーティでスピーチをしてくれ、人を持ち上げるだけ持ち上げ、最後に「でも僕のライバルはタイガー・ウッズです」と言った時のいたずらっぽいあの笑顔は忘れないよ。

最後にお前と会ったのは、あるパーティだった。会場に入ってくるなり「あにぃ、どうする? 俺のジャケットのボタンが外れそう」と言ってきて直してやったんだけど、照れくさそうに笑っていた顔は、怒ると思うけど、若いころのジャンボみたいで可愛らしかったぞ。

お互い切磋琢磨しながら、日本のゴルフ界を引っ張る立場になり、日本と海外、別の舞台で戦い、そして現役を終えた後も、また別の道を歩んだよな。


自分が2年前JGTOの会長を終える頃、ジャンボは俺の知人に「もう我孫子のおっさんを休ませてやれ。俺と違い、日本のゴルフ界の前面に立ち戦ってくれていたのだから、もういいだろう」と話していたという事を聞き、本当に涙が出るほどうれしかった。

ジャンボ! たくさん思い出があり過ぎて語りきれないけど、本当にもう一度会いたかった。現役の時は二人共、強い野心と闘争心の塊で、互いの立場もあり機会がなかったけれど、ゆっくり一杯やりたかったな。

お前さんがなんと言おうと、自分の生涯のライバルはジャンボで、お前がいたから今の自分がある。
絶対忘れないから。
どうぞ安らかに眠って下さい。今日は智春が頑張ってるぞ。さようなら。

                                青木功

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