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ゴルフ日本シリーズJTカップ 2025

祝・名古屋勢2冠。小木曽喬が父と賞金王に約束した日本タイトル初V

小木曽喬(おぎそ・たかし)通算2勝目を、3年シードの日本タイトルで飾った。

「ずっと日本で勝ちたいと思っていた」。
昨年の「ハナ銀行インビテーショナル」でプロ11年目の初Vを達成したが、韓国開催だった。

「このまま勝てなかったら韓国の1勝だけ。すごい寂しい、と思っていたけれど。まさかJTで勝ててびっくりです」。
今季の集大成で、悲願の“国内初V”を達成した。

同じ愛知出身の金子駆大(かねこ・こうた)は賞金王を決めた。
「自分が勝って駆大(こうた)の賞金王を見る、というのが今週の目標だった」。
レギュラーツアーに出られない頃から苦楽を共してきた後輩との“名古屋2冠”も実現させた。



最終日をヨンハンと吉田と3人タイの首位で出て、ベストスコアの「65」で逃げ切り、「この1年やってきたことをすべて出せた」と、年の最後に完全燃焼。

3メートルを沈めた5番や、チップインイーグルを決めた6番。また13、14番の連続バーディや、右バンカーから奥2メートルのチャンスを作った17番も圧巻だったが、小木曽が迷わず勝因に挙げたのは4メートルをしのいだ12番のパーセーブだ。

第1打を右に曲げ、木の根元に行った2打目は「根っこもあって、横出しするには幹があって、正面だと幹は当たらないけど木が邪魔というロケーション。そこで上手くバンカーまで持っていけたのはよかった。あの時ピン方向に打とう、と言ってくれた高橋キャディに感謝したい」。


首位に立った前日3日目。「3打差つけて18番に行けたら幸せ」と言った。その通りに、3打差で最後パー3のティショットが打てた。

右に外しても、ピン上1メートルには寄せられた。急な下りのパーパットを逃して「カッコ悪い。申し訳ない」と大観衆に詫びたが、ボギー締めでもまだ余る。2打差の快勝で東京よみうりの最終ホールを沸かせた。

土曜日から応援に駆け付けた父・一(はじめ)さんも「嬉し涙がちょっと出た」と、喜んだ。


韓国で飾った昨年6月の初Vは、奇しくも父の日。
「いいプレゼントになった」と、韓国から届いた息子からのラインに、「今度は日本で俺のいるときにしてくれ」と、返信した。

「そのときまでうれし涙はとっとくぞ」。
男の約束を、日本タイトルで果たしてくれた息子が一さんにも誇らしい。




男手一つで育てた。
学校給食のパンとごはんを作る会社を起ち上げたのは息子が小3の時。ちょうどジュニアの試合にも出始めた頃で、夜中0時に起きて仕事をしながら息子を食べさせ、送り迎え。ほとんど寝る間もなくまた仕事に就く日々は、息子が福井工業大付属福井中学への編入を希望した中3の春まで続いた。

「あれを超える辛さはない」と、今も息子が振り返る、高校まで4年間の厳しい寮生活。
「でも、あれでメンタルが強くなった。父も反対せず行ってこい、と。福井に行っていなかったら今回の優勝もない」と、息子は今も感謝をしてくれる。

プロになりたい、と言い出したのは、同・高校3年時の2014年に「日本アマ」で日本勢として最年少Vを飾ってから。
同部屋だった学校先輩、川村昌弘(かわもら・まさひろ)に憧れての決断だった。

優しくて、素直で、反抗期もなかった。穏やかでいい子だが、プロとしてはどうか。
息子の性格を鑑みた周囲からは反対の声も上がったが、「ゴルフに関しては妥協しない子」と一さんは知っていた。
「おまえがやりたいことを応援する」と背中を押したが、プロ転向後はしばらく「試合で上位に行けない。シードも獲れない。QT受けてもツアーに出られるところまで行けない」と、苦しんでいた。

それが、コロナ禍を機に堀尾コーチとスイング改造を始めてから劇的に成長。
「初めて目の前で優勝を見せてくれた」。
有言実行の“国内初V”は、息子が重ねてきた努力の結晶だ。

逃げ切って賞金王に就いた金子駆大(かねこ・こうた)は5つ下だが同じ名古屋の縁もあり、チャレンジトーナメント(現・ACNツアー)を転戦していた時からの仲という。
きのうの決戦前夜も一緒にご飯を食べながら、「自分が勝って駆大(こうた)を賞金王にする」と、金子と約束していたそうだ。

金子が今季2勝目を達成し、賞金1位に躍り出た先月の「三井住友VISA太平洋マスターズ」で金子の支えた高橋キャディと、今度は小木曽が組んでの有言実行という不思議な縁にも後押しされた。



最終戦のV者と賞金王が肩を並べて記念撮影した例は今までなかった。


「僕がツアーに出始めたころから、かわいがってもらっている。お兄ちゃんみたいな優しい先輩」とは金子。

小木曽も「駆大はまだ少年の部分がかわいくて大好き」と言い、「ゴルフとの向き合い方は深くてリスペクトできる。独特のスイングであの精度を保つのは感性がないとできない。自分が23歳のときにあれはなかった」。

互いを高め合ってきた名古屋県人2人が年の最後に並び立った。


両家のご家族も、関係者も、日ごろから2人を見守ってきた地元紙の番記者さんの笑顔もほころんだ。
会見後、小木曽は記者さんの姿を探して、改めて日ごろの感謝を述べていた。
名古屋勢による2冠達成で幕を下ろした今季最終戦が、地元にもたらした歓喜はとてつもない。


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