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石川遼は「優勝して言いたいことがあったんですが」

小学校の卒業文集に、「18歳で日本オープン優勝」と、書いた。父・勝美さんに連れられて、初めて観戦に来たのが手嶋多一が勝った2001年の東京ゴルフ倶楽部だった。

「ラフも深くてグリーンも硬くて。なんだよ、このゴルフ場」と子供ながらに強烈な印象を持ったことは、今でも鮮明な記憶として残っている。

「その頃から日本オープンの持っている大きさ」を感じていたという。

あれから8年もたたないうちに、賞金ランク1位で堂々と立つ憧れの舞台は、残念ながら幼い頃の夢は叶えられず、今年も2年連続の2位に終わったが、悔いはない。

片山晋呉に引っ張られて2位につけた昨年の古賀とは、明らかに内容が違う。誰にも彼にもターゲットにされながらも、18歳は常にゲームの中心にいた。1打差首位でスタートした最終日はあっという間にベテラン、中堅にのみ込まれ、もがき、苦しみながらも後半に盛り返し、土壇場で追いついた。

32歳の小田龍一に敗れはしたが、自身初のプレーオフも経験した。
「呼吸も出来なくなるくらいのが20ホールも続いて」。戦い終えた今は、「一気に力が抜けたような、清々しい気持ちです。やりきった良い戦いでした」と言った石川の心に一点の曇りがあるとすれば、この日の6番だ。

石川が、あんなに怒りをむき出しにしたのは、初めてだった。
左のラフから右のラフを渡り歩いて、さらにバンカーに入れた第3打で、極限まで集中力を高めてアドレスに入った。

と、そのときだった。背後で携帯電話のカメラのシャッター音。たちまちアドレスを解いた石川は、音のするほうへと厳しい視線を向けた。
さらに右の平手で自分の太ももを2度も叩いた音は、かなり遠くのギャラリーまで聞こえたはずだ。
それほど目の前の1打に集中し、そして今大会に賭ける思いの強さをむき出しにした瞬間だった。

そのあと、しばらくバンカーの中でうつむいたままじっと動かなかった。
それでも気持ちが収まらないのか、再びバンカーから出て、もう一度、いちから仕切り直しをした。

「本当なら優勝して皆さんに言いたかった」と、あとで悲しそうな顔をして石川が切り出したのはもちろん、そのせいで集中力を欠いて、バンカーからホームランして、奧のラフに打ち込みダブルボギーを打ったのだ、と主張したかったからではない。

「初めて来た人で、ルールを知らなかった人ならしょうがない。次から気をつければいいことだから」と石川は言ったが、石川の組にはそれこそ数十人の会場整理のスタッフがいて、プロの警備員までついていた。

その方たちが「カメラはやめてください。写真撮影は禁止です」と何度、声を張り上げていたことだろう。
「ルールが耳に入っていなかったのかもしれないけれど、あれが分かった上での行為だったら悲しい」と、石川は嘆いた。

それは、自分自身のためだけではない。
同じ組の今野康晴を気遣って、石川自身が声を張り上げたシーンも、何回あっただろうか。
数人の心ない行為は、他の大多数のルールを守って観戦して下さっている善良なギャラリーをも踏みにじると石川は考えている。
「マナーを守ってみてくれるギャラリーが可愛そう」。
それこそがゴルフを、そしてファンを心から愛する石川が、今回はまぼろしと消えた優勝スピーチで訴えたかったことだった。

そういう意味では、見ているほうはもちろん、戦っている本人たちも胸をすくような痛快なこの日のデッドヒートも、ほろ苦い敗退となってしまったことが残念だ。
  • 20ホールを戦い終えた爽快な笑顔にも、複雑な思いが
  • 6番のバンカーではショックで、この姿勢のまましばらく動けなかった

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