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日本オープンゴルフ選手権競技 2026
史上初の偉業も最後までひょうひょう。細野勇策が自負する強み
初優勝と2勝目共に、同一年の日本タイトルで飾ったのはレフティのレジェンド、羽川豊氏(1981年日本プロ⇒日本シリーズ)に次ぐ史上2人目だが、細野勇策(ほその・ゆうさく)は、それを歴史と伝統の「日本プロ」と「日本オープン」で達成してみせた。

史上初の偉業は、楽ではなかった。
「朝の練習グリーンで感じたスピードは、尋常じゃなかった」。
この4日で風も一番強かった。
「きょうは、我慢をするので精いっぱい」。
でも、だからこそ真価を発揮。
「なんとか、食らいつくというのが自分の長所」。
13番で、段の上からカップに背を向け打った下りのスライスラインが2メートルも行き過ぎたが、ナイスセーブでガッツポーズも出た。
1打差のトップ出て、一時は6打差つけたが、坂本雄介(さかもと・ゆうすけ)が、終盤のチャージで2打差に詰め寄った。
でも、焦らなかった。
「ボギー、ボギーで、坂本さんがバーディでも、プレーオフに行けばいい」。
最後までひょうひょうとしていた。
タラオカントリークラブは打点よりグリーンが高い位置にあるホールが多く、落下地点が確認しにくい。
「ボール見えない」と、橋本キャディ。
「入ったからちゃう?!」と、とぼける細野。
「朝からいつもどおり、2人で他愛もない会話をして。勇策が言ったことに、僕がボケるんですけど、彼もまた一緒にボケるんで。お互いわけのわかんないことになっていた笑」(橋本キャディ)。
結果、2打の余力を残して逃げ切った。

「自分の一番の強みである我慢強さを発揮して優勝できた。特に、後半はひりひりしたんですけど、このひりひりを味わうためにゴルフをしている。凄い楽しい時間が終わっちゃったな」。
通算13アンダーは、パー70設定としては、大会の最多アンダーパー記録を3打も更新しながら、決着の時を惜しむ余裕も。
「以前は、慌てることも多かったです」。
直近では、8月の「Sansan KBCオーガスタ」だ。終盤の16、17番で連続ボギーを叩いて2位敗退。
「勝負弱さを感じる場面もあったので」。
初出場した2023年大会の茨木では、3日目の「66」で7位に浮上しながら、最後「74」を叩いて18位。
「情けない結果に終わっていたので。いつか見返したい、と思っていた。初優勝と同シーズンの2勝目を、日本オープンという大きな試合でできたことは本当に誇りに思います」。
5月の「日本プロ」に続いて、再び日本タイトルプレミアムの625ポイントを加点し、ポイントランク1位をさらに爆走だ。
日本ツアーのシーズン終盤と日程が重なるPGAツアーの2次予選会のエントリーはすでに済ませており、飛行機や宿の予約もできている。
だが、来月の「ダンロップフェニックス」終了時点で、ランク1位につければ、日本ツアーのシーズン終了後に行われる最終予選から挑める。
「なんとか、そこまで1位をキープしたい」。海外進出を目指して切実だ。
V特典のマスターズと全英オープンの出場資格も獲得した。
「日本人の代表として行ってきます。結果はどうなるかわかりませんが、出るからには優勝を目指して頑張ってきますので、応援よろしくお願いします」と、表彰スピーチで決意表明した。

1981年大会の羽川氏以来、45年ぶりのレフティVを達成した。
5月の「日本プロ」で細野が初優勝するまで「早く勝って」と、細野を励まし続け、初V後は「よくやった」と細野を褒め、「もっと勝ってね」と、背中を押してくれてもいた。
「昔から、左利きで打っていると練習場やコースで『羽川豊かー』て声をかけられていたんです。ほんと実績もすごい方」。
期間中も、NHKのビデオメッセージを通じて応援してくれた羽川氏。
「レフティ界には、羽川豊さんという大先輩がいらっしゃるので。追いつけるように、そして追い越せるように、頑張っていきたいです」。優勝スピーチを通じて感謝を伝えた。













