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カシオワールドオープン 2008

佐藤えいちは逆転初シード入りのチャンスにも…

昨年は今大会で予選落ちして賞金ランクは86位。しかし同88位で迎えた今年は決勝ラウンドに進み、一度はシード圏内に食い込み、初シードの津曲泰弦や、シード権を守りたい立山光広を大いに脅かしたのが佐藤だ。

逆転の初シード入りには、最終18番がすべてだった。ティショットが「絶不調」という今、あえて安全な左を狙い、第2打は刻んで91ヤードからピッチングサンドでピン手前6メートルにつけた。
「これを入れればシードだということは分っていた」。

運命を分けた1打はしかし、わずかにカップをそれて通算4アンダーは11位タイに終った。
賞金ランク77位は、あと85万44円足りなかった。

体調を崩していたが、直前に欠場者が出てきゅうきょ出場した5月のパインバレー北京オープンはしかし、そこですっかりスイングを壊し、それを最後まで引きずったままこの最終戦を迎えた。

飛ばし屋と言われ、全英オープンで初のメジャー舞台を踏んだ昨年の勢いは見る影もなく、左右にショットを曲げながらも懸命に最後のチャンスに賭けた。

「惜しかったけど、今年は大スランプの年。今のゴルフの調子でこの順位は自分でも、信じられないくらいだから」。

本名は「英智(ひでとも)」。それを音読みで「えいち」という登録名で呼ばせ、回転すしで300貫(約150皿)を平らげたこともあるという根っから明るい大食漢は、「曲がっちゃったり、当たらなかったりする中で、思ったより上手くやれたところもあるので今週はすごく楽しかった」と、満面の笑みを浮かべた。

あと一歩でシードを逃した落胆もほとんど見せず、「今回は、悪い中でなんとかする術を覚えたから」とひょうひょうと、来月3日から始まるファイナルQTに意欲を燃やしていた。

明るく楽しいキャラクターは、きっとそのうち表舞台に出てくる。

<佐藤えいちプロフィール>
1971年5月7日生まれ。東京都出身。13歳のとき、父・保雄さんの影響でゴルフを始める。明大中野付属中・高の先輩に深堀圭一郎。青山学院大卒業後にプロを目指し、1997年にプロ転向を果たした。
2001年の全日空オープンでデビュー戦を飾ったものの、2007年の日本プロまでツアー獲得賞金はゼロ円。
2006年のチャレンジトーナメントは、「PAR72チャレンジカップ」で1勝をあげている。
今季はファイナルQTランク34位の資格で参戦。
「えいち」は登録名で、本名は「英智(ひでとも)」。
デビュー当時は同じ名字の佐藤英之がツアーに参戦しており、スコアボードには「佐藤(英)」と表記されることが多かった。「どっちのことか分からない」との周囲からの声に2003年には、小さいころから呼ばれていたあだ名を平仮名で表記することにした。

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