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つるやオープンゴルフトーナメント 2006

杉原輝雄が決勝ラウンド進出

あたりは静かな興奮に包まれていた。
489ヤードの最終9番。
距離が長く、難易度1位のパー4で、杉原がパーオン成功。スプーンで手前花道から転がして、ピン手前6メートルのバーディチャンスにつけていた。
これを決めれば、68だ。

自分の年齢か、それ以下のスコアで回ることを、エージシュートという。
それは、ホールインワンを出すことよりもはるかに難しいといわれる。
偶然の1打なら、どんな選手にも可能性はある。
しかしエージシュートは、長年培ってきた技術と努力、そして年齢を経てなお健康体であることが何よりも必要となる。

杉原が、そんな偉業を達成しようとしていた。
その瞬間を一目見ようと、まるで最終日最終ホールと見紛うほどのギャラリーが集まっていた。

「・・・僕にとっても、こんなチャンスはめったにないから。男子ツアーも最近、人気がないとか言われているしね。せめて、こういうことで盛り上げたかった。これを沈めて、みなさんに喜んでもらおうと思っててんけどねえ・・・」。

本人も気合が入ったのが、イーブンパーで折り返して迎えた後半の2番パー3だった。
ピンまで10ヤードの花道からチップインバーディ。
「6番、8番でバーディを取ったら、チャンスがあるかもしれない」。
前半の16番で16メートルもの長いパーパットをねじ込んでいたこともあり、「今日は」という気持ちが芽生えていた。

5番パー3で大きく右に曲げ、隣に6番ホールに打ち込みながら3メートルの「スーパーパー」を拾った。ますます、勢いづいた。
6番で、左ラフからの第3打を3メートルにつけてバーディ。
パー4でも2オンが難しい杉原には、340ヤードの8番パー4は絶好のチャンスだった。
セカンドで力が入って、右にふかしてバーディが取れなかったことで、「終わってしもたなあ・・・」。
一度は諦めかけながら、最終9番でもういちど夢を見たのだ

最後のバーディパットはわずかにカップ左にそれた。
わずかに、1打足りなかった。
6月14日に69歳の誕生日を迎えるだけに「2ヶ月後にやればよかったな。・・・なんとか、スライドでけへん?」と、笑わせたドン。
「こうして狙える所までやらしてもらえただけでもありがたい。記録を目指すチャンスをもらって、楽しんでやれた。優勝争いとはまた違った緊張感を味わえた。お客さんも喜んでくれた。それが何より嬉しいです」。

エージシュート達成とはならなかったが、それでも通算4オーバーの53位タイ。68歳10ヶ月と7日での決勝ラウンド進出は、自身が持つ日本ツアーでの最年長予選通過記録ばかりか、米ツアーでサム・スニードが持っていた世界記録さえ更新した。

97年12月に宣告を受けた前立腺ガンは「手術をすると筋力が落ちるから」と、いまも月1でホルモン剤投与の治療を続けている。
その一方で、加圧式トレーニングに取り組むなど、現役続行の姿勢を崩さない。

「何のためにそこまでやるかって? そらお金が欲しいから・・・(笑)。未練かな。もういちどトップに立ちたい、このままやと割りきれない、諦めきれない・・・そんな気持ちが、これまでのゴルフ人生を支えてくれた」と、静かに語った。

前日初日に引き続き、強風が吹き荒れる中での大記録達成。
しかしそれとは裏腹に、杉原の淡々とした口調がいっそう凄みを感じさせた。

<68歳10ヶ月と7日目の予選通過は・・・>
※2001年のダイドードリンコ静岡オープンで自身がもっていた日本ツアーでの最年長予選通過記録を更新。
※杉原にとって約5年ぶり、58試合ぶりの予選通過。
※サム・スニードが1979年の米ツアー『ウェストチェスタークラシック』で記録した67歳2ヶ月と21日を抜いて、世界記録を樹立。

<杉原のアンダーパーは・・・>
※2004年サトウ食品NST新潟オープン初日(70)以来。
※60台のラウンドは2001年住友VISA大平洋マスターズ初日(69)以来(パー72)。

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