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つるやオープンゴルフトーナメント 2006

杉原輝雄、世界最年長での予選通過に・・・

前日2日目に69をマークして、68歳10ヶ月と7日の予選通過は世界最年長記録。しかし、杉原は「世界」と、つけることを拒んだ。

この日3日目のスタート直前に、1番ティで行われた祝典。深々と頭を下げて、北垣学・大会実行委員長(=写真中右、つるや㈱広報宣伝室係長)から差し出された大きな花束を受け取ったものの、「・・・世界記録? そんなの、おこがましくて」と、静かに言った。

全英オープン、全米プロ3回、マスターズ3回を含む82勝は、米ツアーでの最多優勝記録。当時、世界一美しいスイングと絶賛されたサム・スニードは、米ツアーでの最年長予選通過記録(67歳2ヶ月と21日)を持っていた。

そんな偉大なる先輩の記録を抜いたと聞くなり、謙遜しきり。
「・・・向こうは米ツアーでの話でしょう。私みたいなんを、同じ土俵に置くこと自体、失礼です」。
そうキッパリと言い放ったドンは、実はスニードとの交流が深かった。

ある大会で、スニードが来日したときのことだ。
通訳をつれて杉原の前に立ったスニードは、いきなり「教えてくれないか」と言った。
「・・・私みたいなんに彼が何を教えてほしかったのか分からないけれど。頼まれるままに、何かアドバイスしたことは覚えています」と、杉原は振り返る。

また他の大会ではスニードに請われるまま、宿泊先から同じタクシーに乗って会場に向かったこともあった。
「私は英語ができないし、こんな偉大な選手とタクシーに乗っていくのは気を遣うしイヤだなあ、と思いながらもねぇ…」と、懐かしい目をした。
そのとき、車内で会話に行き違いがあり、会場についてからオービル・ムーディを介して、ようやく誤解を解いたときの思い出を、楽しそうに話した。

杉原が、ガンの告知を受けたとき、エアメールを送ってくれたのもスニードだった。
「彼も同じ病気で手術をしとったんです。そのときのことを事細かに書いて、君もこうしたらいいとかああしたらいいとか。書いて何度か送ってくれた」。
ゴルフ界に残した実績だけでなく、「スニードさんのプロとしての生き方も尊敬していた」という杉原。
そんな大先輩をさしおいて、自分が「世界記録」となることに、ドンは強い抵抗感があったようだ。

自身5年ぶり(58試合ぶり)に挑む決勝ラウンド。
「僕は今年これが初戦でしょう。いきなり、決勝にいけるなんて夢にも思わず。どうやってプレーしたらいいのか、今日はようわからなかった。・・・最近ずっと、週末は家でネコと遊んでるような状態やったからね」と、ひょうひょうとラウンド中もドン流のジョークを飛ばしながら、ギャラリーを笑わせた。

偉業達成の翌日も、普段どおりだった。
食事やストレッチはたいてい、自宅や宿泊先で済ませてくる。そして、渋滞や不測の事態を予想して、いつもスタートの2時間前にはコースに来て、ファンとお茶を飲んだりして過ごす。

この日3日目はニュースを聞きつけ、名古屋や静岡から応援に駆けつけてくれたファンもいた。
「朝4時に起きてね、道を間違えて、宝塚のインターまで行ってしまったとかで、途中のホールからついてくれはって。ほんとうにありがたいね。期待に答えて、今日も良いプレーをしたかったんやけど。こんな良いコンディションやのにどっこい、出ないもんやねんなあ・・・」。
前日とはうってかわって77のスコアに悔しがった。

「狙って出るもんやないけれど、明日もエージシュートを狙いたい」。
68歳は、どこまでもドン欲だった。

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