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アサヒ緑健よみうり・麻生飯塚メモリアルオープン 2004

第1回記念大会のチャンピオンは韓国のY・E・ヤン6打差からの大逆転優勝、今季2勝目

6打差5位で迎えた最終日。「チャンスはもう、ないから」と、この日はマイペースを決め込んでいた。

完全な、ノンプレッシャー。「とにかく、ゆっくりとしたリズムで振ろう」。飛んで、曲がらないティショットと、得意のパッティングを武器に、着実にスコアを積み上げていったら、はなから諦めていた優勝が、ふいに目の前にあった。
13番パー4。グリーン横にあったスコアボード。自分の名前がいちばん上に。しかも、2位の伊沢にいつの間にか2打差をつけていた。

伊沢、片山、宮本ら後続の最終組が揃って伸び悩んでいたのだ。

思いがけず訪れたチャンスは、見逃さなかった。
15番で、2メートルの下りフックラインを沈め、17番パー5で2オン2パット。3打差をつけて迎えた最終18番は、ティショットを右のバンカーに入れて、この日最大のピンチ。
第2打はグリーン手前に刻むしかなかった。2メートルのパーパット。「これを決められたのが、大きかった」。18番ティグラウンドに立った時点では、「60%」しかなかった今季2勝目への自信。
グリーンでパーパットがど真ん中からカップに沈んだ瞬間に、「99%」まで跳ね上がった。

悔しさをばねに変えて、戦ってきた。
今年9月。サントリーオープン終了時点の賞金ランクで3位に入り、米ツアーの出場権をかけたファイナルQスクールへの切符を手にした。
目標は、同郷のK・J・チョイ。「彼と一緒に、アメリカでプレーするのが夢なんです」と、語っていた。その夢が、挑戦の前に砕かれた。

エントリーミスで、権利を失ったのだ。
書類を申請する際に書き込んだクレジットカード。その時点で使用限度額を超えており、エントリーフィーが、期限までに支払えなかった。

理由が理由だけに、日本ゴルフツアー機構理事長の島田幸作から、USPGAツアーコミッショナー、ティム・フィンチャム氏に書面で事情を説明するなどしたが、ヤンのほかにも同じ理由で権利を失った選手が数人おり、特例は許されなかった。

「しばらくは、ショックでしたよ」と、振り返る。しかし、いつまでもクヨクヨしていても仕方ない。悔しさはひとまず忘れて、残りの日本ツアーに専念しよう、と気持ちを切り替えた。
その矢先の今回の、今季2勝目だったのだ。

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