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久光製薬KBCオーガスタ 2002

「この優勝は、“チーム湯原”のおかげです」

99年、死にたくなるほどの激痛、そんな湯原信光を、支えてくれた人たち

 10年ぶりの優勝で、“45歳”の存在感を、アピールした湯原。
 それでも、これまでの道のりは、そう容易なものではなかった。
 特に、99年春に患った椎間板ヘルニアは、約2ヶ月間、寝ずの看病をしてくれた夫人に、「いっそ殺してくれ!!」と叫んだこともあるほどの激痛で、選手生命も、諦めかけた。
 「こむら返りが、24時間続くみたいな感じ。トイレの便座に座ることもままならなかった。体重は、10キロ以上減り、見舞いに来てくれた友人に、あとから聞いたのには、内心、(こいつ、死ぬんじゃないか)と、思ったやつもいたらしい…」

 長い闘病で、変りはてた自分の姿に、涙を流した日もあった。

 それが、再びツアー優勝を果たせるまでに、「奇跡的な」(湯原)復帰をとげたのは、「“チーム湯原”のおかげです」と話した。
 数年前から組んでいる米国人コーチ、ジョー・ティールさんと、彼の日本での代行事務所『国際環境』の大原隆社長と、渕脇常弘・チーフインストラクター。そして、日本PNF協会会長の市川重之さん。
 昨年から、この3人と組んで、身体と、テクニカルな部分のリハビリに、徹底的に取り組んできた。
 さらに、ツアー連戦中には目が行き届かないこの3人のかわりに、「なんちゃってトレーナー」をかってでたのが、湯原夫人だ。
 市川氏のトレーニング方法をマスターし、スタート前と、プレー後のマッサージ、ストレッチの手助けをするため、今年に入って、ほぼ毎週、つきそう夫人の姿があった。
 「今週、たまたまあいつが、来られなかったのが残念ですけど」と優しい笑顔を浮かべた湯原。
 優勝インタビューでは、夫人を含め、“チーム湯原”の面々に、心からの感謝の気持ちをしみじみと話した。

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