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とおとうみ浜松オープン 2012

ご当地プロの河瀬賢史は「父に良い知らせを届けたい」

小学生のころはコース近くの遠州灘が、遊び場だった。毎日のように、潮干狩りに通った。「タコも捕ったことがある。ちっちゃいんですけど、美味くてね」。
コースまで車でわずか10分。
河瀬には懐かしい思い出でいっぱいのここ浜松で昨年、産声をあげたのがこの「とおとうみ浜松オープン」だ。

昨年は初日に首位に立った。
「最後は崩れてしまったけれど」。37位に終わったが、この大会が初シード入りの大きなきっかけとなったのは間違いない。
弾みをつけて、その翌週のダイヤモンドカップで自己ベストの4位につけた。

河瀬の名を最初に売ったのが、地元開催のこの大会だ。
今年はぜひここで結果を、と意気込みたいところだが、先週の日本プロは予選落ち。
この日水曜日はお互いにプロアマ戦を終えて、先に練習場で打っていた師匠の藤田寛之。

隣の打席にやってきた河瀬を振り返って、からかい混じりに言う。
「先週の初日は、僕が午後(スタート)で河瀬が午前で。インターネットのスコア速報で、いくら探しても河瀬がいなくて」。

可愛い弟子は前半のインコースで、いきなり6オーバーを打っていた。
だから藤田がいくら上位を探しても、河瀬の名前が見つかるはずもなかった。
「9ホールで普通、6オーバーも打つかね、しかし」。

普段は仏の42歳も、こと弟子となるとつい口調が厳しくなる。
「先週はボールを変えて、グリップを変えて、いろいろ試していたもんで」と言いつのる河瀬に「ほぉ、道具のせいにするか」と、言葉はとことんきついが、それも弟子の成長を願えばこそだ。

さっそくその藤田から電話をもらったのは、今週の月曜日。
「いますぐ葛城(かつらぎ)に来い、と」。
静岡県内にある師匠の所属コースに呼ばれて、みっちり教え込まれた。
「お前はアプローチとパットが上手いのだから。ショットもその延長で打てばいい」と言われた。
「それでかなり良くなりました」と、今季は先週を含めて、4戦中3試合で予選落ちを喫しているだけに、大きなことを言えるほどではまだないが、上昇モードを感じての会場入りだ。

昨年の第1回大会は、家族に車いすを引かれて観戦に来てくれた父の泉さん。
18年前に脳梗塞に倒れたが、息子が試合に出るとあらば南は福岡、北は北海道まで不便をいとわず応援に駆けつけてくれたものだ。
「だけど今年は、ちょっと無理みたいで」と、声が曇る。
出歩くこともままならなくなった父のためにも。
自宅で息子の健闘を祈る最愛の人に、出来れば吉報を届けられたらとひそかに思うのは、当然のことだ。

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