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三井住友VISA太平洋マスターズ 2012

石川遼が2年ぶりの大会2勝目で一番に伝えたかったこと

一時は4打差の首位も、ついに1打差まで詰め寄られて迎えた18番。最後のパー5で、追う松村の2打目は、左の傾斜にキックして、かろうじてグリーンに乗った。

見届けた瞬間に、石川の腹は決まった。ここで自分は刻む、という選択肢はなかった。「逃げれば松村さんに、また隙を見せてしまう。自分は松村さんより内側につけようと思った。そこは、勝負としてこだわった」と、ピンまで228ヤードで迷わず5番ウッドを握ったが、冷え込みにかじかむ手、強い雨、左からの風。

「いま考えてもゾクっとする」。少しでも当たりが薄かったら池だった。グリーンの端をギリギリ捕らえたピンまで6メートルの渾身のイーグルチャンスも、悦に入るどころか「あんなのはもう、打ちたくない」。
優勝シーンをそんなふうに振り返ったのも、今までの9勝ではなかったことだ。

「松村さんの、入りそうで止まりそうなパットを見ているのは凄くつらかった」。まるでこの2年と重ねるように、「凄く長い時間に感じた」。松村のイーグルトライが外れたときには「正直、ホッとした」。涙はひとまずこらえて満員のギャラリーにこの日使ったボールをいくつか投げ込んだが、正真正銘のウィニングボールはそっとポケットにしまって、「この優勝は、支えてくれる人みんなに捧げたい」。あふれる喜びを噛みしめた。

2年の歳月をかけて勝ち取ったツアー通算10勝目は、それでもまだ21歳と1ヶ月24日。ツアー最年少記録の達成だ(※)。若くして、数々の金字塔を打ち立ててきたからこそ背負ってしまったものの大きさに、苦しみ続けた2年間でもあった。

「自分が、とか英樹が、とかいうんじゃないですが。1人、2人の選手にツアー全体が頼る形はもう、無くなってくれたらいいなと思う。これからはみんなで頑張って、ツアー全体のレベルを上げていかないといけないのではないかと思う」。
今年も表彰式で肩を並べた松山英樹さん。史上初のアマチュア連覇を狙った同学年のライバルの思いも代弁して、そんな懇願をしながらも、やっぱり持ち前の責任感が頭をもたげる。

「来年もディフェンディングチャンピオンとして、ここ御殿場に戻って来られることを願っています」と優勝スピーチで訴えたのは、開催コースを所有する太平洋クラブが経営難に陥り、今年はこの40回の記念大会すら、ここでの開催が危ぶまれたことを、石川も知っているから。
富士の裾野に広がるこの18ホールズをこよなく愛する者の一人として、いまここでの10勝目にこだわったのは、何より堂々と自分の思いを伝えたかったから。

「いろいろ難しい問題があって、準備をされている関係者の方々には失礼になるかもしれない。何も分からない人間が、言うことではないかもしれない。でもここで2回勝てた1人としてあえて言わせて下さい。“三井住友VISA太平洋マスターズ”はここで開かれないと、意味がないんじゃないでしょうか」。

2年前の今大会以来となるツアー通算10勝目。今年は7月には海外の連戦によるトレーニング不足で、腰痛を再発。練習すら出来なかった時期もある。苦闘の末にもぎ取った大会2勝目も、やっぱり最後はツアーを、大会を思いやる言葉で締めくくった。

※石川遼の21歳と1ヶ月24日でのツアー通算10勝目は、10月のキヤノンオープンで池田勇太が達成した26歳と9ヶ月16日を抜いて、1973年のツアー制度施行後の史上最年少記録となります。

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