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三井住友VISA太平洋マスターズ 2011

19歳のアマチュア、松山英樹さんがツアー初V

「最後はガッツポーズを」と考えていたのにいざとなるとそんなプランも吹き飛んだ?実際は、帽子を取って、ギャラリーにぺこりと頭を下げただけと謙虚なものだった。
2007年の衝撃から4年。今度は19歳が、歴史の新たな扉を開いた。東北福祉大2年の松山さんが、史上3人目のアマチュアV(※1)を達成した。

マスターズ覇者も、目下賞金1位の男も、ねじ伏せた。シュワーツェルは「これからももっと勝てる。凄い選手だ」と、太鼓判を押した。裵相文(ベサンムン)とともに、3打差3位に甘んじた小田孔は、「また新たな奴が現れた」と、驚嘆した。

15歳で、史上最年少Vを達成した石川遼。以来、この4年で数々の奇跡を起こしてきた。この日も連覇を狙い、土壇場のホールインワンを達成した。しかし、それすらも寄せ付けない。4打差の8位に破れた石川は「英樹は勝つにふさわしいゴルフをした」と、絶賛した。

最終18番。517ヤードのパー5を、1打差の首位で迎えた。しかしその松山さんに並ぶチャンスがあったのは、もはや同組で2打差の谷口だけだった。先に、左2メートルのイーグルチャンスにつけた。ベテランの渾身のガッツポーズはしかし、すぐにあっさりと消し飛んだ。続く松山さんの、ピンそば50センチはまさに、圧巻だった。

引率した阿部靖彦ゴルフ部監督も呆れた。「あそこで普通、狙うか?!」と思わず目をむく大胆さ。セミラフから池越えの177ヤードは、安全策など頭にない。「谷口さんが良いショットを打ったから、自分も続こう」と、8番アイアンを握った目はもはやピンしか見ていない。「18番は、ティショットもセカンドも、会心でした」と、無邪気に笑った。恩師の運転中にも、助手席でグウグウといびきをかくという教え子は、ツアーで初の最終日最終組にも、もはや臆することもなかった。

今年4月は、初めてのマスターズで日本人初のベストアマ。また、今年のアジアアマ連覇ですでに2年連続の出場権も手に入れて、「松山くんは、僕が経験したこともないようなことを、すでに19歳で経験している」と感心しきりは、やはりこの日同組で回った45歳の鈴木亨。

松山さん自身も、「あの最高峰の舞台で、予選を通過して、27位に入った。おかげでどんな場面でもリラックスしてやれる」と、頷く。驚異の19歳に、戦々恐々とするプロを横目に、この週バッグを担いだチームメイトの小林克也さんと他愛ないお喋りで、ノホホンと大混戦のV争い。

同時に、小林さんも証言した「1打への集中力」。そして「緊張したのはボギーを打った17番くらい。最後のパットも手が震えましたけど、今日はそれくらい」という強心臓ぶりには恐れ入る。石川も、「心に波が立たない選手。大抵の人は歩き方でスコアの良し悪しが分かるけど、彼の場合は全く分からない」と評した。

6番で2打目を池にもやはり動揺は微塵も見せず、御殿場での大接戦も、15番の連続バーディで抜け出すと、最後は3番に続くこの日2つめの見事なイーグル締め(※2)で2打差からの逆転V。並みいるプロのプライドをへし折った。4月のオーガスタで痛感した体力、飛距離と精度の不足。帰国後さっそく取り組んだトレーニングに、体重はこの半年で8キロ増。身長180センチに85キロは、腰回りも88センチと6センチも太くなり、最終ホールで小林さんに「腹筋ついてクラブを振っても腰が痛くない」と話すなど逞しさも一段と増した。

マスターズ後のスイング改造で、今週計測のドライビングディスタンスは平均300.33ヤードの堂々2位タイ。予選2ラウンドで回ったシュワーツェルの飛距離を何度も越えた。大会前日には、大学OBの谷原秀人に「すごい良いアドバイスを聞いた」と、取り入れるなり安定感も増したという、驚きの吸収力。前夜、関係者との会食で「スタイルを崩すな」と言われて迷いも消えた。結局、2打差の2位に倒れた谷口も、剛胆な攻撃ゴルフに「飛んで曲がらない。スケールの大きな選手」と、褒めちぎった。

表彰式で、石川と肩を並べて夢見心地だ。いつもは、ベストアマとして座っていた席。それがいま、我こそがチャンピオンとしてここにいる。「去年、遼が勝った大会で、次に自分が勝てたことも嬉しいです」。喜ぶ反面「こんな自分でいいのかな」と、19歳らしい引け目もちょっぴり。「今日もベストアマを目指して頑張ってたら、優勝しちゃいました」と照れた。「まさか自分が勝てるとは。思ってもみませんでした」と、初々しい戸惑いも。

2007年は、石川の最年少Vの一報に「絶対ウソ!」と、友達とさざめき合った。あの日から4年。同学年の破竹の活躍にも当時は「いいなあ!」と、羨ましがるばかりだった少年がいま、堂々と同じステージに立った。

すぐにでもプロ宣言すれば、2年間のシード権が与えられる。しかしそれは当分、お預けだ。副賞のBMWまでも2位の谷口に譲ったことには、「欲しかった、めちゃくちゃ」と、素直に残念がったが、それでも「プロは大学を卒業してから」という松山さんの思いに、今も変わりはない。
「こうして優勝出来たのも、大学でやっているからこそ」。あくまでも学業を優先する意志に、揺らぎはない。
「プロでもアマでも、同じ舞台に立てば関係ない」と、阿部監督も言うとおり、松山さんがこれからも石川の一番のライバルであることに変わりはない。

「今までは、遼が一人でツアーを盛り上げてきた。これからは僕も」と、真っ直ぐな目をして松山さんは言う。プレースタイルは違えども、目指すところはライバルと同じ。「良い時も、悪い時でもたくさんのギャラリーを引き連れて歩けるような、そういう選手になりたいです」。
またひとり、若きスターの誕生に胸が躍る。

(※1)アマチュアのツアー優勝は、倉本昌弘と石川遼に続く、史上3人目の快挙でした。また、19歳8ヶ月と19日のツアー初優勝は、石川遼(アマ、プロとも)と黄重坤(ハンジュンゴン)に続く史上4番目の若さでした。

(※2)最終日に2イーグルでの逆転Vは1995年の日本プロで、5打差から鈴木亨を逆転した佐々木久行以来の快挙でした。

  • 「おめでとう」と石川。「ありがとう」と答えた松山さん。このあと表彰式で席を並べて戦況を話し合った。「遼のホールインワンは4Iだって!! よう飛ぶなあ、と」
  • 阿部監督と歓喜の抱擁。「監督の顔を見たら泣くかな、と思ったけれど。僕はそういうタイプではなかったですね」。まだ19歳、「僕は呑めないけど監督は呑むでしょう(笑」
  • キャディをつとめた小林さんに一人で優勝カップを持たせて記念撮影。アマの試合はセルフバッグも小林さんのアシストでリラックス。「仲間の大切さを改めて感じました」
  • 石川と席を並べた表彰式。「いつもはベストアマとして優勝者の横にいさせてもらうのに」とちょっぴり恐縮。「こんな自分でいいのかな」。もちろんそんなあなたでいいんです

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