湯原 信光

湯原 信光 (66歳)

ユハラ ノブミツ

Nobumitsu YUHARA

岡藤ホールディングス/東京国際大学

日本

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プロフィール

湯原 信光

日本を代表するショットメーカー。とくにアイアンショットの切れ味は、右に出るものはないと言われる。グリーンへのパーオン率は、20年守り続けたシード権を失った2000年と翌2001年の2年連続で1位となっていることで証明される。日大時代の79年に『日本アマ』を制し、翌80年秋にプロ入りすると、2年目の81年に『関東オープン』『ジュン』と2勝して、ランキング5位。83年は『フジサンケイ』で3勝目をあげて「どこまで勝ち星を伸ばすか」と注目された。しかし88年春に疲労が抜けない為、診療を受けたら肝炎で生命の危機にさらされ、93年にはスキーで右ひざを痛め、96年ツアー開幕前には右ひじ痛が発生。99年序盤は椎間板ヘルニアで7月まで戦列を離れ、特別保障制度の適用を受けるなど、ケガや疾患に悩まされ通しだった。それでもシード権は守ってきたのだから、精神力の強さは並大抵のものではない。2000年はツアーの選手会長に推され、自分のプレーより選手会運営にも心血を注いだ。こうしたことで92年『ヨネックス広島』以来、優勝から見放されてきたが、2002年夏の『KBC』で桧垣繁正、桑原克典らを押さえて10年ぶりのツアー7勝目を飾った。<2003>

メディア情報
公式HP
http://yuhara32.jp/
    年齢
    66歳
    生年月日
    1957年08月14日
    身長
    173cm
    体重
    78kg
    血液型
    O型
    出身地
    東京都
    出身校
    日本大学
    所属先
    岡藤ホールディングス/東京国際大学
    ゴルフ歴
    7歳〜
    ツアープレーヤー転向
    1980年09月01日
    ツアーデビュー戦
    全日空札幌オープン
    アマチュア時代の戦歴
    1974・1975日本ジュニア 1979日本アマ 1979アジア太平洋アマ (通算27勝)

    パフォーマンス

    2013 上位スタッツ

    • 平均ストローク

      Rank
    • 平均パット

      Rank
    • パーキープ率

      Rank

    2007 上位スタッツ

    • 平均ストローク

      Rank
    • 平均パット

      Rank
    • パーキープ率

      Rank

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