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宮瀬博文が先週の中日クラウンズで、3年ぶりの復活優勝

ボールに宮瀬の心が乗り移った、としか言いようがない。谷口徹とのプレーオフ1ホール目。18番パー4は、残り140ヤード。9番アイアンの第2打は「本当は左サイドを狙ってた」。

フェアウエーのど真ん中から「カット目に打とうと思ってた」。
しかしボールは、意思に反して右方向へ。「あっ」と思ったときにはもう、土煙とともに着地していた。手前のカラーギリギリの位置。
「てっきり落ちる、と思いました」。
しかし、ボールは小さく弾んでから、しがみつくようにそこに止まった。
わずか数センチでも右だったら、がけ下を転がり落ちていた。

「よくあそこに止まってくれた」。

渾身のこの1打は難コースを前に、「我慢」をテーマに、薄氷を踏む思いで戦い抜いた、宮瀬の姿そのものだった。

「・・・気合ですね、絶対に勝つという」。
ひところの、人懐こい笑顔がやっと戻った。

前年に年間2勝をあげて、米ツアーに参戦したのは2004年。
しかし、打ちのめされてすぐ翌年に帰国。

専属キャディの月森洋二さんは、宮瀬を評して他人に甘く「自分にものすごく厳しい人」と言ったが、何事も突き詰める性格が災いしたのだろうか。

しばらく、自分を責め続けた。
「アメリカで通用しなかったんだ・・・と、自分で自分の価値を下げた時期があった」。
そんな精神面が、ゴルフにもろに出た。
自信を失い、「地に足つかない状態」でコースに臨み、ミスを重ねた。
そしてまた、自分を責める悪循環は丸3年続いた。

いよいよ、複数年シードの期限が切れた昨年は、予選会のファイナルQTにも失敗し、今季前半戦の出場権さえ失った。
月森さんが振り返る。
「昨年の宮瀬さんはいつもピリピリとして、声すらかけらないことが多かった」。
普段は温厚な男が、人知れず物に激しく当ることもしばしばだった。
もがき、苦しんでいた。
表情も沈み、笑顔が消えた。

しかし、今は「精神状態が全然違う」と、月森さんは言う。
「ミスしても、さあ次行こう!って」。
どん底に落ちて、かえって吹っ切れた。
一からのスタートで、心に誓った。
「今年は我慢の年」。
その精神が、そのままこの難攻不落の和合コースで生かされた。
歴代優勝者として権利を得た先週のつるやオープンで2位に入り、土壇場で手繰り寄せた自身の今季2戦目で最大限にチャンスを生かした。

運や偶然だけでは、けして制することができないと言われているのが、歴史と伝統のこの中日クラウンズ。
当時、史上最年少の21歳で初シード入りを果たし、15年間シード権を守りながら、一度地に落ちたことで、ますます輝きを増したチャンピオン。
死に物狂いで試練を乗り越えてきた宮瀬こそ、今大会のタイトルにふさわしい。

次の目標は、「もう1勝すること」と言った。
そして、あれほどのたうつような思いを味わってもなお、「もう一度、アメリカに行きたい」と言い張った。
「本当に自分は通用しないのか・・・。もう一度行って、確かめて来たいんですよ」。
人の良い笑顔の裏に、人一倍負けず嫌いの一面が隠されている。

<ミニ知識>
昨年、ツアーの複数年シード権を失ってから、わずか2戦目にしてシード復帰を果たした宮瀬。
「確かに先週から雰囲気はあったが、まさかこんなに早く勝つとは」と、先輩の加瀬も驚いたスピード復帰でした。
ちなみに、それ以前には1984年にシード権を喪失をした青木基正が、翌85年のポカリスウェットオープンで、その年初戦にしてシード復帰した例があります。宮瀬はこれに次ぐ記録となります。
  • 宮瀬博文が3年ぶりの復活優勝

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