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つるやオープンゴルフトーナメント 2009

田中秀道は愛弟子の初Vに…

歓喜と感謝で泣きじゃくる弟子の頭を撫で撫でする田中師匠(右)は「僕も早いうちに盛り上げられるよう頑張ります」
ツアー通算10勝。2002年には米ツアーに参戦して5シーズンを戦った。プロ19年目はもはやベテランの域にさしかかっている。その田中が「羨ましい」と言った。「腹立たしかった」とも。

弟子の富田雅哉のことだ。

富田のことは、15歳のころから知っている。
田中がヘッドプロをつとめる岐阜県の端陵ゴルフ倶楽部にある日、ひょろりとした少年が、アルバイトで入ってきた。
それが当時、中京商業高校1年の富田だった。コースでのキャディ業務はクラブ活動の一環だった。

今より痩せてはいたが、そのころから身体能力の高さはずば抜けていた。
「しなやかなスイングで、ものすごく飛ばした」。

2002年にプロ転向してからは、ますます体つきも逞しくなり身長は185センチ。
166センチの田中には、もうそれだけで十分に思われた。
小柄な体にムチ打って戦っている田中にとって、「その素材が羨ましい」とは、偽らざる本音だった。

しかし、この選手はそれを本当に生かし切れているだろうか。
深刻な腰痛で田中が丸1年ツアーを留守にした昨年も、富田は幾度も優勝争いに絡んでいた。しかし、けっきょく勝ち星のないままここ2年間と同様に賞金ランクは30位台にとどまった。

「あぐらをかいている」と、田中は思った。
ときおり周囲から「弟子は大活躍だね」と言われるたびに内心でムカついた。
「本人も、2位や3位でも半笑いでガッツポーズをしている」。
スポーツ選手として恵まれた肉体を持ちながら、本気で勝負に挑んでいないように感じた。
認めているからこそ、腹が立って仕方なかった。

「絶対に勝とうと思ってやっているのか?」と、問いただしたのは昨年11月だ。
三井住友VISA太平洋マスターズとダンロップフェニックスで3日目に3位。
しかし、平凡な順位に甘んじて帰ってきた富田に「そのあたりをよく考えてみろ」と、田中ははっぱをかけたのだ。

その田中の目の前で4打差からの逆転初Vを達成し、歓喜にむせぶ弟子の頭を「よくやった」と撫でながら、自らも戦いの炎を燃やす。

1年ぶりの復帰2戦目にして、1年半ぶりの予選通過と明るい兆しも見えている。
久しぶりに4日間を戦って「まずは完走できたことをよしとしたい」と田中。
弟子の優勝を励みに、「今は、しっかり準備して6月、7月に攻めていければいい。また早いうちに、富田を上から目線で見られるようになればいい。……成績も、身長もね」。
冗談を交えて笑顔で話す様子に、復活間近を予感させた。

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