Tournament article

サントリーオープンゴルフトーナメント 2007

サントリーオープンが、35年の歴史に幕

12番から4連続バーディを決めて伸び悩む谷口徹をとらえると、17番で7メートルのバーディチャンス。ど真ん中から決めて突き放した。大逆転の2週連続Vは自身初の快挙達成だ。

満面の笑みを浮かべ、佐治信忠・大会会長からトロフィーを受けたものの、しかし喜びに浸りきれないまま谷原秀人は悄然と肩を落とした。

「来年、ディフェンディングチャンピオンとして、ここに帰ってくることはもうないんだな、と・・・」。

サントリーオープンは、この35回目をもって幕を閉じる。
ツアー制度施行元年の1973年に産声をあげて以来、数々の名勝負を生み、名実ともに日本一のトーナメントのひとつとして成長をとげてきた大会が、長い歴史にピリオドを打つ。

「寂しい・・・」と、思わずつぶやいたのは、チャンピオンだけではなかった。

谷原とともに最終組で最終日を盛り上げた谷口は「なんだか、これで終わるような気がしない」と、名残惜しげに話した。

2002年に大会連覇。3年連続賞金王の片山晋呉は「何より、この総武で勝つことに大きな意味があった。それほどの大会が、今年限りでなくなってしまうなんて」と、絶句した。

3年ぶりの日本ツアーに今大会を選んだ丸山茂樹は、開幕前から動揺を隠さなかった。
「この大会が下りるというのはよほどの非常事態。ショックだった。我々が、何か物足りなくてこうなってしまったんでしょう」と、沈痛の表情を浮かべたのは水曜日の記者会見だった。

今でも忘れない。毎年、開催前日に盛大に行われた恒例のアマプロチャリティトーナメント。
アマチュアのみなさんの華やかなコスチュームに負けないように、中嶋常幸が英国の民族衣装のキルトスカートで参加したのは何回大会だったろう。
83年には大会初制覇。その夜、長嶋茂雄氏と日本テレビ放送で生共演した二重の喜びは、いまもはっきりと覚えている。
「これほどの大会が終わってしまうんだ。もちろん、俺だって寂しいよ」と中嶋は言った。
「でも・・・」と、すぐに切り出した。
「逆説的に言えば、これは変革のチャンスなんだ」。

この日最終日はインコースの、いわゆる“裏街道”からのスタート。
それにもかかわらず、大勢のギャラリーを引き連れて歩きながら、中嶋はつくづくと思った。
「ファンのみなさんは優勝争いや、プレーだけを見に来ているのではない」。

ゴルフを通じて、ツアープレーヤーたちの振る舞いを見ている。
「そしてそれを通じて、俺たちの人柄を見ている。俺たちが、プロらしい目も覚めるようなゴルフをしなくちゃいけないのは当たり前のことなんだ。それ以外のプラスαの魅力。いま、それを求められている」。

すでに気が付いて「変わろう」という強い意思を持って、自主的に動きはじめた選手たちがいる。
「いまの選手たちには強い団結心がある。俺たちは、きっと変わっていける。そのときにまた(大会を)やろうと思っていただきたい」と、中嶋は言った。

「もう少し、待っててください。僕らで必ずツアーを良くしてみせます」と言ったのは、選手会長の深堀圭一郎だった。
最後を惜しみ、この日最終日に駆けつけた9681人のギャラリーに谷原が誓った。
「これからも、もっともっと盛り上げて、またサントリーオープンに帰ってきてもらえるように頑張ります」。
そして、深々と頭を下げて言った言葉が選手みんなの思いを代弁していた。
「35年もの長い間、いままで大会を開催してくださってほんとうに、ありがとうございました・・・!!」。

関連記事