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日本ゴルフツアー選手権宍戸ヒルズカップ 2005

宮本勝昌「ぜひ、このコースでも優勝したい」

宍戸ヒルズの薄闇の中、力強くこぶしを握った。最終18番パー4。グリーン右に外した残り12ヤードのアプローチが、チップインバーディ。
この第3打目を打つ前に、日没サスペンデッドを知らせるサイレンが鳴った。「ちょうど素振りをしていたときで。ストロークに入っているときじゃなくて、ほんとうに良かった」。
いったんアドレスをほどき、仕切り直しをしたショットが直接、カップに転がりこんだ。
このバーディで、ボギーなしの64をマーク。

この難コース、そして難コンディションの中、スコアを伸ばした秘訣は、15歳のアマチュアに学んだからだ。

先週の全米女子オープン。
ミシェル・ウィーは、徹底して刻むゴルフで優勝争いを繰り広げた。これを手本に、飛ばし屋の宮本も、今週ばかりは飛距離を捨てたゴルフ。
名づけて「ミシェル・ウィー作戦!」。

前夜から降り続いた雨は、生い茂るラフにたっぷりとしみこんで、少しでもショットを曲げれば脱出するのは容易ではない。
多少、距離が残ってもドライバーはなるべく握らず、とにかくフェアウェーキープを優先させる。
もっとも顕著なホールが15番だ。625ヤードと距離の長いパー5のティショットで、持つのはなんと3番アイアン。
第2打は390ヤード以上は残る覚悟だが、「残り距離は考えず(苦笑)」もういちど、そのまま3番アイアンを握り、第3打は200ヤード前後を残す。
この日は残り190ヤードから6番アイアンで、ピンまで12メートルにパーオンしこれを沈めてバーディを奪った。
首位と2打差の暫定単独2位浮上。

今大会の前の会場・ホウライカントリー倶楽部(栃木県、2000年)と、ここ宍戸ヒルズカントリークラブ(2003年)の2コースで優勝をあげているのは伊沢利光だけだ。
宮本は2001年、ホウライのときのチャンピオン。
宮本にとって憧れの選手のひとり、伊沢の後を継ぐためにも「ぜひ、このコースでも優勝して大会2勝目をあげたい」。
そうつぶやいてクラブハウスのフロント前に飾られた、優勝カップのウェッジウッドに熱い視線を注いでいた。


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