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マンシングウェアオープンKSBカッフ゜ 2004

三橋達也は、大親友と交わした約束を胸に・・・

4番パー4で「自分の弱さが出た」。ティショットが突き抜けて、フェアウェー右のラ フ。脱出の第2打は2段グリーンの奥のカラー、この日のピン位置は、急勾配の段の下 だ。ほとんど、カップの逆方向を向いて打った第3打は寄せきれず、3パットのダブル ボギー。リーダーのトラブルにつけこんで、下位の選手が次々と猛チャージをかけて きた。
インドのジーブ・ミルカ・シン、今季初シードで今年好調の増田伸洋、そして日大同 期の片山晋呉・・・。
いつもの自分ならこのダブルボギーに消沈し、ライバルたちの勢いに気おされて、そ のままズルズル後退していたことだろう。
ツアーの出場権さえ失った2002年シーズンから、契約先プレジオの社長と取り組んで きたメンタルトレーニング。去年からトップアマの兄・隆明さんと続けてきた、「も ともとのスイングを根本から覆す」スイング改造。ファイナルQTの資格で出場権を取 り戻したこのオフは、「ほかの選手が休んでいるときこそ、俺のような選手がやらな いと、いつまでたっても差は縮まらない」と、1月から丸2ヶ月間、高知県でみっちり とラウンドレッスンを繰り返し、新シーズンに備えてきたのだ。
「ピンチを迎えたいまこそ、それを発揮しないでどうする」と、三橋は思った。
それに何より、大親友との約束もある。
2000年7月、くも膜下出血で亡くなったプロゴルファーの小島礼志さん。小学生時代 からの幼馴染みで、いちばんのライバルだった小島さんは、三橋より1年早い98年に プロ転向を果たした。さあこれから、というときだった。亡くなる直前の試合会場で も2人、「お互い頑張って早く優勝しよう」と誓い合ったばかりだった。その数日 後、小島さんは忽然と、三橋の前からいなくなった。

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