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日本オープンゴルフ選手権 2025
祝・PGAツアー昇格。平田憲聖がマスターズの切符を獲りに戻った
来季もまた“留守決定”に、練習ラウンドから引っ張りだこだった。
上位20位内にPGAツアーの出場権がある米二部コーンフェリーツアーを15位で戦い終えた平田憲聖(ひらた・けんせい)が、日光に入った。
先週の最終戦で、1年戦いあった仲間と健闘を称え合うセレモニーに参加した後、急いで帰国中、大学後輩でジュニア期から弟みたいに可愛がっている下家秀琉(しもけ・すぐる)から練習ラウンドの申し込みがあったが、まだ機上の人。
やっと火曜の夜に栃木に入り、開幕前日の15日水曜日は、中西直人(なかにし・なおと)と小斉平優和(こさいひら・ゆうわ)と大学先輩の富本虎希(とみもと・こうき)と“日光”を初練ラン。
平田との希少なプレーを噛み締めていた。
時差ボケもぜんぜん覚めない体で、急いで18ホールを下見した。休む間もなく平田が今季の日本ツアー2戦目を決めたのは、もちろん本大会の勝者に付与されるマスターズの出場権をねらってのこと。
「小さい頃からテレビで見ていた夢の舞台。本当に限られた人しか出れないですし、目標の場所。自分のできるゴルフをして、優勝争いできたら」。
この1年の経験と成長のあかしを獲りに来た。
「背も大きくないですし、体格も大きいわけではない。そんな僕でも海外でやれるということを証明したかった」と、飛び込んだが恵まれた環境が整うPGAツアーと違い、二部ツアーは、想像以上に過酷を極めた。
一番は移動距離の長さ。
時には、大陸の端から端をまたぐ週もあり、最長で9時間かけて車で移動をしたことも。
「そこはよくやったな、と思います」。
食事の面でも「美味しく食べられるものがない」。空腹を満たすため、フライパンでごはんを炊く裏技も覚えた。
「予選落ちをしたら、何もすることがない」。
最初は、メンタル的に煮詰まることもあった。
「海外の選手と回ると自分を見失っちゃう時もあったんですけど、そういうのも毎週戦っていくうちに慣れて、無くなっていったので、そこは1年戦って、成長した部分」。
25試合に出て、2位2回を含むトップ10を5回。
「振り返って、100%自分の力を出せたかと言われるとそうではない。やっぱりもっともっとできたと思うし、やっぱり勝ちたかった」。
未勝利に終わったシーズンはもちろん無念だったが、「自分の出せる力は毎週出せた」と、言える。
昨季は大西魁斗(おおにし・かいと)が同ルートで昇格を果たしたが、「日本選手が、Qスクールを受けて、二部ツアーから上がるというのは今まであまりなかったので。日本選手でもそれができるというのを僕も示したいと思って頑張りました」。
これから米ツアーをめざす仲間たちにも確かな道筋を示した。
先月の「バンテリン東海クラシック」でツアー初優勝を挙げた下家(しもけ)も、平田に憧れる後輩の一人だ。

今週の練習ラウンドは、実現できなかったが、水曜日の練習場で再会し、先輩の快挙をねぎらっていた。
「挑戦しないで無理、ではなくて。無理かどうかは挑戦してみないとわからない。みんなもそういうふうに思ってトライしてくれたら嬉しいです」という平田。
来季PGAツアー選手の背中をみんなが見ている。















