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ANAオープン 2016

石川遼は24歳最後の日に

プライベートなら、やはり一番は結婚したこと。また仕事の面では、なんといっても2月から約半年の戦線離脱だ。「これだけ試合に出れなかったのも、これだけゴルフをやらなかった期間が長かったのも、クラブを握ってから始めてのこと。いろんなことがあった1年でした」。

2日目は24歳、最後の1日が終わった。ホストプロとして、首位は死守したが「今日はけっこう苦しいラウンドでした」。
前半5つのバーディも、折り返すなりブレーキがかかった。昨日までとは逆の風が吹いた難しさも手伝い、連続ボギーを打った。
「10番のドライバーのミスからチグハグになりました」。
ティショットを左に曲げて、林からの2打目をグリーンの右奥に打ち込んだ。

「自分の想定している範囲に収まるミスではなくて、そこでのドタバタを取り返すのに、時間がかかってしまった」と、次のホールも引きずった。11番のパー3ではティショットがラフへ。右から15ヤードのアプローチもまた寄らず、思わず天を見上げた。パーパットはカップの左に切れた。
さらに12番のパー5は1メートルのバーディチャンスをみすみす逃した。「出来れば2つ、3つ取って、パープレーに戻せれば良かったが、簡単にプレーさせてもらえなかった」と、後半のインコースに反省を残して上がってきた。

デビュー当時は、輪厚に手強さしか感じなかった。
「ことごとく跳ね返されて、なんでこんなに難しいのか。力でねじ伏せても通用しない。苦手なのか、向いてないのか。最初の2、3年は為す術もないというゴルフが続いた」。

その輪厚で今年は連覇をかけて、再び優勝争いしている。
「アメリカに行って、輪厚はこういうふうに攻めるべきというのが分かって、去年の優勝につながった」。
この日は後半、折り返してすぐの3ホールでは「それまでと、別人のようになった」と悔やんだが、それでも初めて輪厚に挑戦した頃には「ゴルフってそういうものだ」などと、達観できないほど若かった。

「以前なら、取り返そうと行きすぎたり、逆に落ち込んでしまってずるずると行ってしまったところ。アメリカに行って、苦しい場面も乗り越えて来られた。今日も苦しい9ホールだったけど粘ることが出来た」と、成長の跡を自覚した日。
「メンタルひとつで変わるのだ、と。アメリカで学んだこと」と、今年は特に、苦難の激動の1年を経て、またひとつ石川は大人になった。

大会3日目の17日には25歳になる。「昔は“今年から中学生だ”とか。そういうのがあったけど、もう今はそこまで嬉しくない」と、誕生日ではしゃぐ年齢も、とっくに超えた。
目先のことに一喜一憂するより、長いスパンで将来を見据えるようになった。
2007年に衝撃の史上最年少優勝を飾って世間を驚かせてから、まもなく10年。
「ここからまた10年をかけて、マックスまで成し遂げたい目標がある」。
本当の厳しさや怖さを知った上で、改めて挑む大望だ。
小学校の卒業文集にも書いた。「マスターズで優勝」。
明日の誕生日を契機にその夢に向かってまた一歩一歩、大きな山を登っていくつもりのホストプロだ。

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