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関西オープンゴルフ選手権競技 2015

プロ9年目の片岡大育(かたおかだいすけ)がツアー初優勝!

人柄を如実に表す優勝シーンとなった。後半の10番からずっと、スコアボードが確認できずに、「いったい何打差あるのか。自分がトップなのかも分からない」。焦った気持ちでずっとパーを拾って、「13番の2メートルが、一番しびれた」。やっと状況が把握出来たのは、18番のグリーンに上がってから。「その瞬間に、3打差あって。嗚呼、ありがとうございます、と」。勝利を確信してようやく安堵してなお、睨んだ4メートルのバーディトライ。「入れたかった」。届かなかった。「ショートして、スミマセンという気持ちになった」。優勝シーンにはおきまりの、派手なガッツポーズも忘れて思わず、帽子を取ってぺこりと、「今日は応援してくださって、ありがとうございます!」。

涙は出なかった。ニコニコと引き上げてきたチャンピオンの代わりに、プロ9年目のツアー初Vを、泣いて喜んでくれた人がいた。2日目の18番ホールで左に曲げた片岡のティショットが足に直撃した中谷幾子さん。足が腫れ上がるケガも大事に至らず、最終日にもまたコースに足を運んでくださった。片岡の優勝シーンを見届けて、「まさに“当たり”ですね」と、あとは言葉にならずに号泣してくださった。そんな中谷さんにはあとでお見舞いの品を贈るつもりだが、ひとまずサインキャップに「中谷さんへ」と丁寧にしたためて、「あのときは、本当にすいませんでした!」と、改めてお詫び。

今週は、本業の“営業活動”でたまたま留守にした専属キャディの伊能恵子さん。「姉さん」と親しみを込めて頼りにする恩人のいない間の1勝にも、「スミマセンの一言ですね」と、勝ってこれだけ謝ってばかりの選手も珍しい。

今年、ツアーは開幕から3戦を、外国人選手が占拠して、この流れを誰が止めるか。「勝たないと、また言われる。僕が止めたい」。また、20代の優勝は、昨年の日本オープン以来。「勇太さんのあと、勝ってない。今日は20代を代表して僕が勝ちたい」。いつもどおりの笑顔の裏に、気合いを入れて出ていった。今年の開幕戦に次ぐ自身2度目の最終日最終組は、山下と岩田が早々に脱落していったが、「僕らの前の組にも強い選手たちがいる」と、最後まで途切れなかった集中力。「まさか自分がこんなに早く勝てるとは。思ってもいなかったので。とにかく嬉しいの一言です」。
26歳の初めての優勝スピーチは初々しかったが、19歳でのプロデビューから、重ねてきた努力と経験は、並大抵ではない。

お父さんの和人さんは高知高校の甲子園球児。片岡もリトルリーグでならしていたある日、和人さんに連れられていった練習場で、ゴルフにハマッた。めきめきと腕を上げ、地元の香川西高校(高知県)時の2006年に「四国アマ」で大会史上初の高校生V。2007年の中四国オープンではシニアの歴代賞金王の三好徹をプレーオフ6ホールで倒して、80年の倉本昌弘以来となるアマVを契機にプロの道を選んだものの、いきなり分厚い壁に阻まれた。

本格参戦を果たした2009年には「絶望感を味わった」。開幕から5試合連続の予選落ちには「やっていけるのかなって。涙を流すくらいに、落ち込んだ」。青山充コーチとの試行錯誤が始まった。「1コ1コ、ツアーで試して。考えて、一つ一つを埋めて行った」。出場権のない日本をいったん離れて海外にも目を向けたのもこの頃。稼ぎ場をアジアンツアーに求めて、世界中を旅して歩いた。2011年の“初シード”もアジアが先。毎週のように国境を渡る掛け持ち参戦は、確かに苦労も多かったが、報酬はそれ以上だった。
「活躍の場は、日本だけじゃない。外での試合が一番の練習になった」。当時は欧州ツアーとの共催も多く、幾度となく世界ランカーと回る機会にも恵まれた。「コースマネジメントやスコアの組み立て方を学んだ」。デビュー当時は身長167センチに体重は、70キロにも満たずに、華奢な体で飛距離も伸びず、その分、小技を磨き、トレーニングや食事で懸命の体力強化。心身ともに逞しさは年々増して、2013年には念願だった日亜両ツアーのシード入りを実現させて、機は十分に熟していた。

特に今季はフェードから、ドローへのスイング改造に取り組みドライバーの飛距離は15ヤードも伸びた。「アイアンも一番手、上がり、ゴルフが楽になった」。3日目には「浅めに読んで、入り口をカップのセンターに置く感じで。ひらめいた」とここ名神八日市カントリー倶楽部の傾斜のグリーンも最終日を前に、完全に手の内におさめて、栄冠を引き寄せた。

プロ転向後もしばらくは、キャディとして支えてくれた父親も、今はすっかり親離れ。2年前から交通の利便を考え、大阪で一人暮らしを始めて、たまに会場で会っても近頃は意見の相違でよくケンカになり「今週も意地張って、来ませんでしたけど。優勝しました。お疲れ様でした」と、照れ隠しにわざと茶化してV報告した息子は、あなたが命名してくれたとおりにおかげさまで、こんなに「大」きく「育」ちました。
「今日は、オヤジも美味しいお酒を呑んでくれるでしょう」。初Vは、見せられなかったけど「1回勝てたのだから。きっとまた勝てる」。次こそは、高知の美味しい日本酒「酔鯨」で、一緒に祝杯を上げるつもりだが、今回ばかりは息子は美酒に酔う間もなく、翌月曜日の25日は岡山県の鬼ノ城ゴルフ倶楽部で36ホールの死闘に挑む。
全米オープンの出場権をかけた最終予選会は、よりにもよって朝7時からのトップスタートは「きついですけど頑張ります」。長丁場もなんの、夢の米ツアー行きの切符をつかむ。
  • 水シャワーのお祝いに駆けつけたのはアジアンツアー仲間の市原弘大と、香川西高校の後輩の木下稜介。木下には片岡が、アジアンツアー参戦を勧めた経緯がある。
  • 「酔鯨」で祝杯!

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