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ACNチャンピオンシップゴルフトーナメント
Round217:47 日没の為、競技サスペンデッド。 明日5日の競技再開は、7:30予定。 第3Rのスタート予定は、9:30 。
Tournament article
マイナビABCチャンピオンシップゴルフトーナメント 2012
ハン・リーが最終日に63、大逆転の日本ツアー初優勝!!
「信じられないほど良いショット、パットが出来た」と、14番では12メートルもの長いバーディトライがカップに沈んだ。首位の金庚泰 (キムキョンテ)を捕まえると、次の15番ではついに逆転。
アゲンストの風に、275ヤードの第2打でも再びドライバーを握って、2オン成功。楽々バーディで、ついに単独首位に躍り出た。
大波乱の展開も、しかしその張本人は「全然知らなかった」という。というか、あえて知ろうとしなかった。この日はずいぶん深く被った帽子もそのためだった。緊張を避けるためにも「リーダーボードは絶対に見ない」と初めから決めていた。
苦い記憶があった。今年のつるやオープン。今も思い出すと「胸が痛い」。あれは今回と逆パターン。最終日を5打差の首位で出ながら藤田に逆転負けを喫した。勝ちたい思いが強すぎて、失敗した。
それでもタダでは転ばなかった。最終組で回った藤田のゴルフを目に焼き付けた。「藤田さんはどんな場面でもプレーのテンポもショットのリズムも、首尾一貫していて絶対に崩れない。凄く勉強になった。吸収したいと思った」と勝ち方を学べたことは、大きな収穫だった。
日本に来て5年。初年度の2008年は日本オープンで6位に入り、翌年は2位2回。「すぐにでも勝てると思った」。今回は初めてのチャンピオンブレザーも、身長190センチには小さくて、袖が短くなってしまった。恵まれた体格、圧倒的な飛距離。その豪快さだけではなく、風貌もベテランの川岸良兼に似ていると評判になり、誰かのいたずらでロッカーに川岸の写真が張ってあったことも。
人なつこい性格で、日本ツアーもすぐに馴染んだ。すぐに勝てると周囲にも褒めそやされて、本人もその気になった。
「しかし勝つのは簡単ではなかった」。
初優勝の壁は厚かった。何度も跳ね返されて、何度も投げやりな気持ちにもなったが、「素晴らしい仲間に囲まれ、健康にゴルフが出来ることに、感謝をしなければいけない」。自身が名付けた“ありがとうスピリット”をいつでも胸に、努力を重ねた。
祝福に駆けつけてくれた片山晋呉。「5回も賞金王になって、26勝もしている人。やってることは間違いがない」といつの頃からか仔細に観察するようになり、そのうち互いの身長差にもかかわらず、普遍の極意を見つけた。
これまた本人名付けて「おっぱいターン」。二の腕と胸を連動させた上半身の捻転の仕方。片山の体の動かし方はリーにも大いに参考になった。豪快なスイングに、“晋呉流”の安定感が生まれた。「18番では、本当に完璧なプレーが出来ました」と、Vロードにつなげた。
フェアウェイから打った残り170ヤードの2打目は、7番アイアンでピンそば1メートルにぴたりとつけた。イーグルトライは、図らずもそれまで絶対に見るまいと思っていたリーダーボードが飛び込んできた。
「ボールと、カップと、ちょうどその向こう側におっきなボード。ラインを読んだらイヤでも目につく」。
いつの間にか、自分が1打差の首位に立っていることを知って緊張は、一気に最高点に達した。
「震えながら打ちました」と残念ながら外したが、最後も楽々のバーディ締めにこの日は大雨もものともしない63をマークして、その時点で2位に2打差をつけて上がってきた。そのあと、3つ後ろの最終組の金と、宮本のイーグルの可能性が消えた瞬間に、悲願の初Vが決まった。
思いがけないビッグチャンスも巡ってきた。次週はWGC・HSBCチャンピオンズ。有資格者の重複で、このマイナビABCチャンピオンシップの覇者にも資格が下りてきたのだ。
両親とともに、韓国からアメリカに渡ったのは2歳のとき。カリフォルニア大学で腕を磨き、米二部のネーションワイドツアーからの挑戦にも、叶えられなかった母国ツアーへの参戦。日本に来たのは、別ルートで米ツアーへの足がかりをつかむためだった。
「日本で頑張って、世界ランクを上げるという方法もある」。5年目にしてやっとその手がかりをつかんで「来週も頑張ります!」。分厚い胸板を堂々と反らして、世界舞台の扉を叩く。