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ANAオープンゴルフトーナメント 2012

藤田寛之は「新たな記憶を作っていかなければ」

今からちょうど10年前だ。輪厚は記念の30回大会を迎えていた。そこで藤田は、忘れられない経験をした。あのジャンボ尾崎との優勝争い。
両者一歩も引かぬ大接戦は、「藤田のミスを期待している自分がいたよ」と当時、ジャンボに言わしめたほど。粘り強いゴルフを続けていた藤田が、一世一代の賭けに出たのは首位タイで迎えた17番。

ティショットをミスしながらジャンボが2打目に見事なリカバリーを見せたことで、追い詰められた藤田は「ジャンボさんに勝つにはこれしかない」と、グリーン手前の林越えに挑んだ。
しかしボールは無情にも、林に消えた。パー5でボギーを打ち、ジャンボに大会7勝目と最年長Vを譲ったこのシーンはあとから物議をかもしたものだ。

あそこで本当に狙う必要があったのかどうか。冷静に刻んでバーディなら勝っていたかもしれないのだ。
「あのあと2、3年はいろんな人にそんなふうなことを言われましたけど」。
しかし、「10年ひと昔とは、よく言ったもので」。今はそのことを知る人もほとんどいなくなった。
「みなさんの記憶も薄れてきて」。それとともに、輪厚(わっつ)も大きく様変わりをした。

その中でも一番は、道具の進化がある。
10年前は、池を警戒して打てなかった5番ホールも、「今ではアゲンストでも狙える」。
以前は誰もが警戒した1番ホールのフェアウェーバンカーも、みんな楽々と越えていく。
「ミドルアイアンでしか狙えなかったホールも、ショートアイアンで打てる」。
多様な技を要求されたコースも「選手の飛距離が伸びたことで、輪厚の難しさが消されてしまった」と、43歳のベテランは感じている。

その分、別の難しさも出てきた。「バーディを取らないと、生き残れない」。連日スコアの伸ばし合いは、そんな感慨にふけっている暇もない。乗り遅れれば、あっという間に置いていかれる。
「その中でも、一人抜きんでていきたい」と、思えばなおさら攻め続けなければ。
しかも記念の40回大会に、10年越しのリベンジとまでは思わないまでも、「また新たな記憶を作っていかなければいけません」。

ただし最終日は1打差で競って17番を迎えても「もうグリーンは狙いません」。10年も経てば、あのとき果敢に挑んだ林も丈高く成長して、「とてもじゃないけど、自信ない。無理はしません」。それもひとつ、輪厚と選手の大きな変化だ。

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