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VanaH杯KBCオーガスタゴルフトーナメント 2012

池田と同い年! 塚田陽亮(つかだようすけ)が好発進

昨年は日本では出番がなくて、出かけていったアジアンツアー。「タダで帰ってきたんじゃない」。挑戦した甲斐があったと思えた、この日の初日だった。

会場のここ芥屋(けや)ゴルフ倶楽部は、トーナメントの開催コースとしては、唯一となった高麗グリーンで、前半の3番こそ「がっつり3パット」のボギーを打った。
2段グリーンの下の段から「逆目で上って、順目で下って。わけが分からなくなった」と、3メートルもオーバーしたが、それで自分を見失うことはなかった。

「この春も、アジアでカツカツのグリーンでやってきたから」。向こうで“剛毛”のラフに、鍛えられた経験が生きた。
6番から4連続バーディを奪うなど65で上がると大勢の報道陣に囲まれて、感無量だ。
「これでみなさんに少しでも、名前を覚えていただける」と、もうそれだけでご満悦の塚田は「僕はカメです」。

ウサギとカメの、カメさんだ。同い年のプロは、もうずっと先を走っている。「勇太とか、諸藤とか」。
でも焦らない。
「30歳で、プロのツアーに出ることが夢だった」というが、デビューは25歳の2010年。目標は、むしろ5年も早まって「この舞台でやることが、僕のゴールでしたので」という欲のなさ。
バングラデシュで、一緒に行動した日本人がみな体重を減らして帰ってきたのに「俺は3キロ増えていた」というたくましさ。

有名なプロドラマーの父親を持ちながら、ゴルフの道を選んだ一人息子だ。10歳のある日、たまたま叔父さんに連れて行かれた練習場で、「ドライバーで、空振りもせずに130ヤード。野球なら、ホームランじゃん」と、すっかり夢中に。

中3で単身渡米。高校生まで過ごしたフロリダのIMGアカデミーでは、若かりしテニスの錦織圭(にしこり けい)選手もいた。未来のトップアスリートたちと青春期を過ごしたが「僕は試合に出ても、ものすごく頑張っていつも20位くらい。土俵が違った。挫折した」と、無念の帰国をした。

名古屋商科大に進んだ。2008年にプロ転向を果たして5年目の今年も、ファイナルQTランクは80位とふるわなかったが、マンデートーナメントを勝ち上がって出場権を手に入れたダイヤモンドカップとセガサミーカップ。
「その2つで確実に予選を通って、出場優先順位を上げた」と、夏以降の出場チャンスを一気に増やした。

「他の選手に勝てるところと言ったら体重ですかね」と笑う朗らかさ。
ツアーのプロフィールには80キロと申告したが、「本当は86キロある」と、打ち明けた。
「食べることが楽しみ」という食いしん坊に、注目だ。

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