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中日クラウンズ 2011

過去5度のチャンピオンが3位タイ

64歳にしてみれば、してやったりの67だった。97年の3連覇を含む大会5勝。得意の和合で、ジャンボが輝きを取り戻した。特に難しい上がりホールは17番パー3で、7メートルのバーディトライをねじ込み、若々しいガッツポーズで魅せた。

最終18番は、右手前から2メートルのバーディチャンスを外したが、「この風の中で、ミドルアイアンがこれだけコントロールできるようになると、ゴルフが楽しくなる」と、確かな手応えに、満面の笑みが消えることはない。

石川遼に宣戦布告したのもこの日。朝、クラブハウスでばったり会って「俺もようやくお前と戦える」。すぐあとに、珍しくちょっぴり控えめに「近々だが」との付け足しも、こうなると必要なかった。
「それを聞いて、鳥肌が立つ思いだった。嬉しかった」と石川。
「自分でも相当仕上げてきたつもりだったから。びっくりするというのはない」と、蓋をあければ19歳の期待を裏切らない3位タイの好発進に、本人も想定内を強調した。

誰よりも早く千葉の街で街頭募金に立ったジャンボだが、このたびの大震災は「復興するまでに、かなりの時間がかかるだろう。これからずっとになるかもしれないが」。
それを承知で、6日前に自らに課した禁煙。
「傾いた日本が本当に立ち直るまで、タバコを吸わない」との決断を下した。

やはり数年前に踏み切ったものの、2ヶ月で挫折したのはタバコをやめたことで、体重が増えてかえって持病の座骨神経痛に負担がかかったからだが、いまはその心配もないくらい状態がよい。

禁煙によるラウンド中のストレスを懸念する声にも「人生前向きに生きたけりゃ、そんなことでイライラしてちゃいけないよ」と、豪快に笑い飛ばした。

充実の体力、気力、精神力は、充実したオフを過ごしてきたおかげだ。
杉原輝雄に加圧トレーニングを勧められたのは、2年前。
「おっさんに言われたときは、そんなものと、聞き流したんだ。でもやってみると、凄く良い結果が出た」。
以前はスタートホールから、キャディバックに携行していた簡易チェアに腰を下ろさずにはいられなかったが、いまでは18ホール、最後までしゃんと背筋を伸ばして歩ける。

「うまくいかないと、表情も暗くなるし、笑顔もなくなる」。歩くだけでもつらかった時期は、ファンにも苦しい顔しか見せられなかった。
「反省して、今年は顔を上げて、笑顔を出して行こうと思う」。
体調が良くなれば、気持ちもがぜん前向きになる。
ふと声をひそめて「今年の尾崎はちょっと違うよ。ここだけの話」。いたずらっ子の顔をして、ガハハと
笑った。

しかしその“恩人”は今年、この中日クラウンズの出場を断念した。
ガンと闘いながらも、現役にこだわり続けた杉原だったが、ついに同一大会連続出場の世界記録は、51回で途絶えた。
今年は欠場すると聞いたとき、「杉原のおっさんに、恥ずかしくないプレーがしたいと思った」と、ジャンボはいう。
「おっさんは俺が恥ずかしいプレーをすると、自分も恥ずかしいと思うタイプだから。俺はそれを背負ってやっていく」。

勝てば、自身が持つ55歳8ヶ月の最年長優勝記録を更新する。記録に挑み続ける64歳の渾身プレーこそ、ドンへの精一杯のエール。
「おっさんにも頑張ってもらいたい」。
同時にそれは、いまも過酷な状況にある被災地へのジャンボからのメッセージでもある。

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