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Sansan KBCオーガスタゴルフトーナメント 2026

李尚熹がやっと勝った「サンヒ、よくやった」忘れられない父の声

やっと日本で勝てた。韓国の​李尚熹(イ・サンヒ)が初優勝を飾った。




参戦14年目の悲願は、1差の2位から出て3差の圧勝。
あえて通訳をつけずに臨んだVスピーチは「100点満点中2点」と、笑う。




もっとうまく日本語が喋れていたらきっと泣いていた。
「父と母と、妻に伝えたい」。
母と、結婚してもうすぐ4年になる妻とは分かち合えても、父・ホンシッさんはもういない。

口元に当てた手を、空に向けてサムアップ。
「父さん、やりましたよ」。



2013年から参戦し、幾度も優勝争いには絡むが勝てない。韓国ツアーでは4勝を誇るが、日本ツアーでは負け続けて、2位だけでも実に8回。
とりわけ痛恨だったのは、竹谷佳孝(たけや・よしたか)と並ぶ首位でホールアウトをしながら11番での違反を指摘され、
2打罰で敗れた2014年の「日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ shishido Hills(現BMW 日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ)」だ。


でもお父さんは、罰打のことにはいっさい触れず、サンヒを責めるどころか「よくやった」と、2位健闘を褒めてくれた。

「頑張ったら必ずまたチャンスが来る」と言ってもらえてどれだけ救われたか。


「今も覚えています」。

日本のことわざで言うところの「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」が口癖。どんなに上の立場に立っても謙虚であれ、と教え込まれた。
姉とは18歳、兄とは15歳差の末っ子でかわいがられた。

サンヒが日本のQTに初挑戦した2012年は、脳梗塞からのリハビリ中。1歩に数分かかるほどの歩行困難でも息子のプレーについて歩くといってきかなかったお父さん。
「本当に、日本での優勝を早くみせてあげたかったのに」。


兵役についた20ー21年は、コロナ禍とも重なり、韓国勢が軒並み撤退を決める中、サンヒは「勝ちに戻る」と、日本ツアーへの復帰を決意。
だが、22年の本大会で、河本力(かわもと・りき)にまた2位で敗れると、明けてすぐの翌23年1月に父が死去。

ついにV報告できないまま逝ってしまった。
「心に大きな穴が空いたみたい。しんどかった」。

同年末にはシード落ちを喫した。
「これからは、何もかも全部自分でやらなきゃいけない」。父親の大きさを痛感した。
「家族への責任を感じた」と、再度ファイナルQTから這い上がり、すぐ24年に復活。

25年の「三井住友VISA太平洋マスターズ」と、今年の「JAPAN PLAYERS CHAMPIONSHIP by サトウ食品」とで、通算8度の2位を経て、ついにこの日を迎えた。
「必ず優勝トロフィーを持って父の墓参りをする」と、誓ってコースに出た。
「きょうは、自分のやるべきことが黙々とできた。たくさん、2位を経験してきたからこそ、自信をもって最後までプレーができた。そんな自分を褒めたいです」。

“サンヒ、よくやった”

見上げた視線の向こうにあの時のお父さんの声が聞こえてくるみたいだ。


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