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ディネッシュ・チャンドが最終日に達成した、ツアー史上4人目の1ラウンド3イーグルの原動力は・・・

表彰式でチャンドは、ファンやスポンサーのみなさん、コース、関係者のみなさんに向かって深々と、日本式のお辞儀。
「先週、長野で過ごした日々が僕に力を与えてくれた」
ディネッシュ・チャンドが最終日に達成した、ツアー史上4人目の1ラウンド3イーグルの原動力は・・・

この日最終日の1ラウンド3イーグル達成は、今大会前週の1週間のオフに、“原点” にかえったたまものだった。「コンビニのある街まで車で30分もかかる」(チャンド)という長野県サニーCCのクラブハウスにたった一人で泊り込み、朝は5時から起き出して、それまで不調だったアプローチとパター練習に、黙々と時間を費やした。

それはいまから12年前、初めて日本にやってきたときと、同じ生活パターンだった。

故郷フィジーでツアーガイドやキャディの仕事していたチャンドは、ふとしたきっかけから当時プロを目指していたビジェイ・シンと知り合い、のちに彼の専属キャディとなり、自らもプロの道を夢見るようになった。

だが、フィジーにはトーナメントがほとんどない。

日本のプロになるべく、知人のつてを頼って単身来日し、研修生として門をたたいたのがサニーCCだった。ここでプロとしての修行を積んで、必要な技を身につけたのだ。。


いまではジョークもいえるほど、日本語も自由に操れるようなった。表彰式では、「スポンサーがなかったら、こんな素晴らしい大会もできません。ほんとうにありがとうございます」と言って深々とお辞儀。日本式の文化やマナーもすっかり板につき、日本ツアーでもシード選手として、ゆるぎない地位を維持できるようになった。

ここまで来られたのは、住居を千葉県に移した今でも「帰ってきたら、いくらでも練習していいよ」と暖かく迎えてくれる“日本の故郷”があったからこそだ。

「先週、長野で過ごした日々が、どれだけ僕に力を与えてくれたことか」。自分を育ててくれた土地で初心にかえり、1日ひたすら球を打つことで、チャンドは復調のきっかけをつかんだのだ。
  • スタートや、ギャラリー整理など運営のお手伝いをしてくれた“キッズ・ボランティア”のみなさんとの記念撮影。「みんな、今日は暑い中、ほんとうにありがとうね!!」(チャンド)

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