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ダンロップフェニックストーナメント 2019

中嶋常幸がラストフェニックス。「出場するのは今年で最後」

馴染みのクラブハウスの片隅で、65歳が涙を拭いた。
出場43回目の決断。
「この大会は、今年で最後と決めました」と、中嶋常幸。

インターナショナルツアーと銘打ちスタートした74年の初回から、海外の強豪がこぞってここ宮崎に集結。海外ツアーに引けを取らない高レベルのフィールドに「日本勢の優勝は難しい」と言われた時代に、最初にVリストに名前を載せたのが中嶋だった。

「ここでの思い出はたくさんあるが、セベと戦って優勝したこと。それが一番」。
85年の12回大会でスペイン伝説のプロ、セベ・バレステロス(11年に故人、享年54歳)と争い、初の日本人覇者となった。

「私にとって、ベストトーナメントのひとつ」。
1989年以降は、大会主催のスリクソン契約プロとして、華を添えてきたが、3年ほど前から「このコースで自分のゴルフができなくなってきた」と、こぼすようになり、65歳で迎えた今年、ついに心を決めたという。

思い出深い今大会でのラストランは初日「79」、2日目「81」の通算18オーバー、81位で予選落ち。
「今日はインスタートの11番で、池に入れてトリ(プルボギー)を打っちゃって。大量失点につながちゃった。こんなスコアしか出せない。悔しいけどね。まあしょうがない」。

いつものひょうきんな口調で話したが、話が家族に及ぶと、たちまち声が湿った。

「相談すると、止められちゃうし、言ってなかったけど、かあちゃんが、察して今日来てくれた」。
愛妻の律子夫人が長女の佳乃さんや、孫らを引き連れ応援に駆け付けた後半、4番から連続バーディ。
名残を惜しむ家族をせめて、喜ばせて涙がこぼれた。

「まあ…、最後くらい、見てあげたいって思ったんじゃない? やっぱり引き際っていうのもあるし、この大会が好きだし、好きだからこそ、今年で…」とそこまで言うと、言葉を詰まらせタオルで目頭を、強く押さえた。

来年以降の出場を、強く求めたのは関係者やスポンサーだけではなかった。
「選手のみんなも”中嶋さん、まだまだ出てくださいよ”と。みんなが言ってくれたが、この場所での私の戦いは、終わった」と潔かった。

今大会の出場はこれが最後だが、「私のゴルフ人生が、これで終わるわけじゃない」。
「ダンロップ・スリクソン福島オープン」など、出場の意思を継続している大会はまだあるし、「選手としてではなくて、もちろん、違う形で。大会やゴルフ界の力になれるんだったらなりたいし、ジュニアの子たちを教えるためにも。ここからまた新たな人生を、歩んでいきたいと思っている」。
ツアー通算48勝のレジェンドは涙を拭いて、前を向いた。

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