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ゴルフ日本シリーズJTカップ 2009

18歳の賞金王誕生

いよいよ今年も最後の18番グリーンは、何度も、
彗星のように表れたのは2007年。マンシングウェアオープンKSBカップで史上最年少優勝を挙げたのは15歳。あれからわずか2年と半。
いよいよ頂点にのぼりつめた18歳を、1万5597人の大観衆が出迎えた。

最終18番は高低差約10メートル。スタジアム風になったグリーンサイドにはギャラリーがびっしりと埋め尽くし、新しい王者の登場を今か今かと待っていた。

4番アイアンで、ピン右2.5メートルにピタリとつけた途端に「歓声というか、地響きというか、凄い迫力!」。

ティグラウンドからいったん下って再び登る。東京よみうりは最後の上り坂から、まずは真っ赤なハンチング帽が見え、続いて今大会のためにわざわざ新調したベストにスラックス。
この日もとっておきの勝負カラーでキメた石川が澄み渡る青空をバックにして傾斜の向こうからいよいよその全貌を現すと、西日も待ちわびたように、その笑顔をくっきりと照らした。

再び鳴り止まぬ拍手に、何度も手を振って応える。迎えた最後の1打は、なおいっそう気合いが入った。
「だけどあれだけのフックラインはなかなか打てない」。バーディこそ苦笑いで外したが、タップインの瞬間はティショットのときよりも、いっそう大きな地鳴りがした。

「遼くん、賞金王おめでとう〜っ!!」。

口々に祝福を受けて「もう感無量です。あんなに声援や拍手を送っていただけるとは思っていなかったので。かなりこみ上げてくるものがありました。ゴルフをやっていて本当に良かった」。

賞金王のスピーチで、他の選手より自分に勝ったところがあったとすれば何かと聞かれて躊躇なく応えた。
「ギャラリーのみなさんの応援です」。
ただ、それに応えたい一心で、ひたすら日々厳しい練習を重ねてきた。血の滲むようなトレーニングを積んできた。

激動の1年を疾風のごとく駆け抜けた。
特に終盤は、海外を含む17連戦。
母・由紀子さんが「黒っぽい服のときはさすがに細くなったと感じた。ちょっと心配でした」と、明らかに疲労の色が見えたこともあった。

しかし本人は、「どこも痛いところはないし大丈夫」といつでも気丈に言い放ち、池田勇太と一歩も引かぬ攻防戦を戦い抜いた。
そのかたわらにはいつも温かな応援があった。
「ファンのみなさんの声援は宝物。見守られ、励まされてここまで成長できました」。

1973年に、ジャンボ尾崎が26歳で達成した最年少賞金王を、18歳が塗り替えた。また、世界を見渡しても、もっとも若いキングの誕生だ。
これほどの快挙を成し遂げながら、「これは僕のピークじゃない」と石川は言い張る。
近ごろ、ジャンボがゴルフ雑誌の取材に応えて言っていた。
「全盛期は今だ」。この言葉に共感した。

ゴルフは30歳からがピークとか、いわゆる通説も非凡な選手には当てはまらない。
「たとえば35歳で賞金王とか、僕の中ではありえない」。
石川にとっては、18歳の今このときに獲ることにこそ価値がある。
そしてその思いは、これからも続く。
「僕もジャンボさんのように、毎年が自分のピークと思えるような選手になりたい」。
最年少の賞金王は、ゴールではない。
さらに、厳しい戦いの始まりだ。

ライバルの池田勇太をはじめ、この頂上決戦に出場した他26選手が口々に祝福のコメントを残したが、本音はおそらく「次は絶対に遼には負けない」。
今後はきっと、束になってかかってくるだろう。
ジャンボも、青木も、中嶋も。誰もが経験してきたように、頂点に立ったものだけが知る苦しみを、石川も味わうことになるかもしれない。
だからこそ、「来年も、努力だけは今年以上を目指したい」と本人にもその自覚がある。
寝ても覚めても頭にある。
「ゴルフは僕の人生だから。これまでも、学べることがたくさんあったから。一生、携わっていきたいから」。
だからこそ、前人未踏の記録をなし遂げて、「終わった瞬間、全身から力が抜けて、一気に足が重くなった感じがあった」と、燃え尽きながらもなお石川は言うのだ。
「今、やりたいことはトレーニングと、やっぱりゴルフ。他にやりたいことが見つからない。明日からまた練習です」。まさに、ゴルフの申し子が創る伝説は、いま始まったばかりだ。
  • 何度も、
  • 何度も、
  • 何度も…!! ギャラリーのみなさんに向かって手を振り、頭を下げた。
  • 世界的に見てももっとも若いキングの誕生に、ジャパンゴルフツアーは新しい夜明けを迎えた…!!

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