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ゴルフ日本シリーズJTカップ 2009

2009年最強の男は丸山茂樹

石川、池田が盛り上げた2009年のジャパンゴルフツアーを締めたのは世界のマル
最後の最後にマルちゃんが笑った。韓国の金庚泰との死闘を制し、8年ぶり8度目のこのツアー最終戦で、10年ぶりのツアー通算10勝目を挙げた。

首位と4打差の4位からスタートした最終日は15番からの3連続バーディで、いよいよ首位を捕らえた。17番で7メートルのバーディを決めて、当初から目安にしていた通算9アンダーにして、金と並んだ。

2001年に、米ツアー初Vを飾ったミルウォーキーオープンで、チャールズ・ハウェルと繰り広げて以来のプレーオフ。
舞台の最終18番は、ツアーでも屈指のパー3。その繰り返しに「サドンデスがどんな感じかももう覚えていなかったので。とにかく無心で、深呼吸して、自分を信じてやりました」。

金は予想どおりにしぶとかった。先にどんなにピンそばにつけても、ピタリと張り付き離れなかった。
2ホール目に金を振り切る絶好のチャンスを外してもメゲなかった。
「あれは無理に行くと3パットもするライン。次のホールに賭ける気持ちのほうが強かった」。
最初の18ホールから、さらに約1時間にわたる激闘だった。はるか遠くの富士山が、くっきりと綿帽子を見せたこの日の晴天も次第に陽が落ち、徐々に冬の冷え込みが戻ったが、最後まで半袖姿で踏ん張った。
4ホール目はほぼ同じ位置から得意のアプローチ合戦に、ピンそばのパーセーブで終止符を打った。

がっしりと抱き合った専属キャディの杉澤伸章さんが、耳元でささやく。
「お帰りなさい!」。

誰もがこの男の帰りを待っていた。
期待に応えて、満面笑顔で大きく手を振る。
「長らくお待たせしました!」。

毎日スタート前は、40歳迎えた今でもなお、若手選手に自ら歩み寄り笑顔で握手を交わす。

合間は楽しいジョークで笑わせる。面倒見がよい大先輩に、全員出席の閉会式で集まった選手たちが、いっせいにむしゃぶりついた。

しかしいつものマルちゃんスマイルもここまでだった。父・護さんの手ほどきで、初めてクラブを握ったのは10歳のとき。これまで30年のゴルフ人生で、初めて見せた男の涙だ。
「ゴルフは喜ぶものだと思ってきたから」。
だが優勝スピーチで、この10年間を振り返ったとき、堪えきれない涙が溢れた。
「長い荒波を乗り越えて勝てたことは、言葉に表せない嬉しさ」と、嗚咽した。

デビュー年の90年代は、「日本なら、出れば勝てると上から目線」。刺激を求め、「一人旅に出よう」と思い立ったのは、2000年。2002年の全英オープンで5位に入り、ワールドカップで優勝。しかし、翌年に日本人最多の米ツアー3勝目を挙げたあとからスランプに陥って「疲れ切って、うちのめされて……」。傷心の帰国をしたのは2008年秋。

そして今年は10年ぶりに再び腰を落ち着けた日本で、アメリカから持ち帰った「トラウマ」に苦しめられた。左右に散らばるティショットに、「二度と優勝カップが持てる気がしない。立ち直れない」。そう思い詰めた時期もある。「家族や友達にも愚痴ばかりで」。

それでも不屈の試行錯誤で這い上がり、先週のカシオワールドオープンでは、最終日に回った石川遼に「来年は遼くんとも一緒にやれそうな気がするよ」。
冗談めかしたその言葉も、この1勝にますます自信と確信が沸いてくる。
「場所はどこでも、勝つっていい」と、涙を拭った。
まして、日本での復帰元年に勝てたこと。
「僕の40代のゴルフには大きな一歩」と再び明るい声を張り上げ、「これからは、少しでも若手の見本になって、ツアーを盛り上げていきたいと思います!」。
やっぱり、この人には笑顔が似合う。
  • まさに有終の美に
  • トレードマークのスマイルがはじけ飛ぶ
  • しかし、スピーチで初めて見せた男の涙。
  • 壇上を降りてもしばらく涙が止まらない。じっと堪える丸山の背中をじっと石川が見つめていた。

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