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カシオワールドオープン 2009

小田孔明が大会史上初の連覇を達成

丸山と石川の最終組を制したことも、嬉しい!!
もし、石川遼が勝てば史上最年少の賞金王が決まるはずだった。しかし結局、単独2位に終わって賞金レースは次週のツアー最終戦に持ち越された。その張本人は、優勝インタビューで開口一番。
「大丈夫ですか、KYじゃなかったですか……?」。

この日、駆け付けた7647人のギャラリーの大半が、賞金王誕生の瞬間を見に来たことは言われなくとも分かっている。

しかし、その中にも小田の優勝を、心から願ってくれた人がいる。
「子供たちにも約束していましたから」と、笑顔で言った。
「初めて両親の前で勝てたこと。それが嬉しい」と、涙ぐむ。

大会の地元・高知県は、コースからもほど近い南国市の久礼田(くれた)小学校を訪れたのは、今年の開幕目前。主催のカシオ計算機が社会貢献活動のいっかんとして、同校にスナッグゴルフセットを贈った。その寄贈式に、プレゼンターとして駆け付けたのが昨年覇者の小田だった。

校庭で、子供たちとスナッグゴルフに興じて約束した。
「11月の大会では、連覇を達成してみんなの前で賞金王を決めます」。
さっそく4月の開幕戦で、ツアー通算2勝目をあげて大いにその気になったが、そのうちひとつは早々に諦めるしかなかった。
「すごい2人がいて、これは無理だと」。
賞金レースは石川遼と池田勇太の一騎打ちに割り込む隙さえなく、今大会直前の賞金ランクも遠く及ばぬ7位。

「せめて、ディフェンディングチャンピオンらしいゴルフを見せる」と、誓った。初日の3位から、日に日に調子を上げると、その思いはますます強まった。「フェアウェーさえ行ってくれれば戦える」との手応えで迎えた最終日は、石川との最終組にいっそう気合いが入った。

「遼には絶対に負けない!」。

8番パー3は、5番アイアンで「完璧なティショット」。ピンそばのバーディで2打のリードを奪った。さらに9番で、石川より先に2メートルを沈めて「スイッチが入った」。
特に、石川も脱帽したアイアンショットはことごとくピンを刺し、まるで精密機器のようだった。

「遼に並ばれたら逃げられる。遼が入れても入れ返す。スーパープレーで遼の心を折れさせたい」。

懸命に食い下がる石川を、容赦なく叩きのめした。
後半さらに4バーディは通算21アンダーの圧勝で、大会史上初の連覇をさらった。
優勝賞金は4000万円を上乗せて、賞金ランクは3位に浮上。
自身初の1億円超えも同2位の池田にすら及ばぬが、賞金王争いの決着にはひとまず待ったをかけて、一矢報いた。

その一部始終を見届けた父で師匠の憲翁(のりお)さん。
しみじみつぶやく。「生きていて本当に良かったです」。

ペンキ塗りの最中に、屋根から転落したのは2007年夏。5分間の心肺停止と頭蓋骨骨折の重症を負ったばかりか、それから1年足らずでくも膜下出血を煩った。
一度ならず二度も「九死に一生」を得て、初めて目にする息子の晴れ姿にはまた格別なものがある。
「まだまだ勉強が必要だけど、まあ孝行息子です」。
幼少期には、地獄の特訓を強いた「スパルタ親父」だ。

しかしおかげで息子の今がある。屈強な肉体や、300ヤードを超える飛距離はそのたまもの。プロになってからは、なおさら父への感謝を忘れたことはない。
優勝インタビューで「今日は見に来てくれて本当にありがとう」。
言い終える前から声が震えた。
「本当は、泣くつもりなんかなかったのに……」。
不覚にも溢れ出てしまった男の涙。
「両親の話になるとダメなんです。泣けてきちゃう」と照れくさそうに、ぶっとい腕でゴシゴシこすった。
気を取り直して宣言した。「来週も優勝賞金4000万円。欲が出ます。この勢いで勝ちに行きます」。
2週連続Vで今シーズンを締めくくる!!

劇的連覇から一夜明けて、チャンピオンの小田孔明から久礼田小学校のみなさんにメッセージが届いています。ここに紹介します。
「久礼田小のみなさん、こんにちは! 今年3月にみんなとスナッグゴルフで遊んだ小田孔明です。覚えてくれていますか? あのときみんなに約束した賞金王は、残念ながら実現できませんでしたが、2年連続で優勝することが出来ました。最終日はいま賞金ランキングで1位の遼くんとの戦いも、みんなが見てくれている、応援してくれていると信じて頑張りました。来年もまた元気に高知に帰ってきて、3回連続の優勝を目指したいと思います。次もぜひ応援してね、よろしくね!」。

  • カシオ計算機の樫尾和雄・代表取締役社長の手から2年連続で受けた大会2個目の優勝カップ
  • 今年、賞金総額は6000万円アップの2億円。優勝賞金は「4000万円にしてくださって、行くしかない、と」。主催者のご厚意もその原動力とした。
  • 地元福岡は九州以外の大会にご両親が駆け付けたのはこれが初。母・慶子さん(左)の「四国に行ってみたい」との誘いに父・憲翁さん(右)も予言めいたものを感じたという。
  • 延べ700人を超えたボランティアのみなさんにも労いと感謝の言葉を

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