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東建ホームメイトカップ 2009

田中秀道「カムバックしてきました……!」

大会前日、弟子の河井博大とパッティンググリーンで入念にチェックを繰り返した
ちょうど1年前だ。2008年の今大会だった。腰に激痛が走ったのは、第2ラウンドのプレー中。そのあと、ついに1試合も出場できないまま1年が過ぎた。

兆候は、アメリカにいたころからすでに出ていた。渡米から5シーズン目に、シード落ちを喫した2006年には、まさに全身が悲鳴を上げていた。

満身創痍の中で、それでも責任感の強い男は無念の帰国をしてなお、「男子ツアーを盛り上げたい」と、自らにムチ打った。
まさに体を引きずるように連戦を続け、いよいよ無理がたたったかっこうだ。

「いま思えば体より、心の問題のほうが深刻だったのかもしれない」と、振り返る。
「盛り上げると言ったって、自分のゴルフや体がどうしようもない状態じゃ、やりようもないんですもん。それすら分かっていなかった」と、苦笑した。

30代を超えてなお、20代のころのゴルフを追い求めてしまったことも災いした。
身長166センチの体をしならせて繰り出す切れ味鋭いゴルフ。

「まだまだ自分も“150キロの直球が投げられる”なんて思ってしまった。本当はもう130キロしか投げられなくなっていたのに。若いころと、同じゴルフをしようなんて、夢物語だったのに」。

しかし長い間、そんな自分が受け入れられず、もがき苦しみ続けた。
「つらいより、悔しいより、ただただ悲しかった」。
どん底まで落ちた穴から這い出すすべを見いだせず、悶々と悩み続けたという。

抜け出すきっかけは、このオフを過ごした鳥取県のトレーニングセンターだ。
メジャーリーガーなどトップアスリートも訪れるという有名なその施設は、一方で怪我のリハビリに通う一般の患者さんたちの姿も多くある。
「今日は1ミリ腕を動かせた」と言っては喜び合い「今日は30センチ、歩けた」といっては嬉し泣き…。
しかも、そんな人ほどかたわらの田中にも大きな思いやりを寄せて、励ましの言葉をくれるのだ。

「人生の復活をかけたみなさんの姿を見ているうちに、ゴルフの復活を目指して悩んでいる自分が“安く”思えた」と、田中は言う。
同時に、強ばりきった心がゆっくりと溶けていくのを感じていた。

98年の日本オープン優勝で獲得した10年シード(当時)は、すでに昨年で切れてしまった。
今季は、トーナメント中の負傷を公傷とみなして適用される「特別保証制度」からのシード復帰を目指すことになる。

昨年、無念のリタイアをした今大会がその第1戦。
開催コースからそれほど遠くない、岐阜県の瑞陵ゴルフ倶楽部に所属する田中にとって、第2の地元でもあるこの地でリスタートだ。

「カムバックしてきました。よろしくお願いします」と深々と頭を下げた田中は「もう昔の自分は追わない。ルーキーの気持ちで、また新しくゴルフを作り直すつもりで頑張ります」と、清々しい笑顔を見せた。
「そして、近いうちに晋呉や遼くんの邪魔ができるくらいになれれば」という38歳はアメリカへの再挑戦も諦めてはいないと打ち明けた。
「やり残したことがあるから。もう一度行きたい」と力を込めた。

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