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The Championship by LEXUS 2008

哀悼の声

11月3日に亡くなった社団法人日本ゴルフツアー機構の島田幸作・前会長(現名誉会長)の訃報は「The Championship by LEXUS(レクサス選手権)」の会場の大利根カントリークラブにも衝撃をもって流れた。

首位タイのS・K・ホは最後の言葉を思い出し、「もう会えないのは寂しい」と言葉を詰まらせ、3位タイにつけた武藤俊憲は、「僕みたいな若造にも気を遣ってくださる優しい人」と、在りし日の姿に思いを馳せた。

石川遼は、昨年の史上最年少優勝からと短い間ではあったが「いつもお会いするたびに“あんまり無理せんでいいからね”と声をかけてもらった。アマチュアのころからたくさんツアーに出られたのは島田さんのおかげでした」。
ゴルフ界の底辺の拡大、人材発掘に尽力した功労者に感謝を寄せた。

名前を冠した「最優秀新人賞・島田トロフィ」の最有力候補は「せめて獲って、島田さんに感謝の思いが伝われば」。

2005年から2年連続の選手会長をつとめた横田真一は、沈鬱な表情で「なんと言ったらいいのか」。

自宅療養中ということを聞き2週ほど前に、兵庫県宝塚市の自宅に花を贈ったばかりだった。
「治ることを信じて頑張ります」というメッセージを受け取ったが、「それも、たぶん奥さんの字だった」。すでにペンを取る力さえなかったと推測される。

ツアーのスタッフを通じ、「横田くんに電話でお礼が言いたいが、そういう状態じゃないので申し訳ない」との伝言を、心苦しい思いで聞いた矢先だった。

99年の会長(当時肩書きチェアマン)就任のころは、ちょうど男子ツアーに逆風が吹き荒れていた時期だった。
「石川くんもまだ出て来ていない時期で、マイナスの要素ばかり。重責をお願いしたことが、相当のストレスになったのだと思う」。

そんなさなかであってさえ、選手たちの将来を一番に気にかけていた。
特に、ゴルフを犠牲にして邁進した横田の選手会長時代には「僕にいろいろと特別な配慮をしていただいたと思う」と、頭を垂れた。

「島ちゃんをJGTOの初代会長に推したのは、この自分だ」と打ち明けたのは、ジャンボ尾崎だった。
「これはお前の天職だから、と。俺が、無理やりやらせたようなところがあったんだ」。

2008年3月3日の社員総会まで立派に勤め上げたこの10年の苦労を思いやり、「自分がこうしたいと思っても反対するものが必ずいて、政治と同じようなものだっただろう。よく頑張った」と、心からねぎらった。

そして68年の日本プロ、関西オープンに関西プロ、そして51年の日本オープンを制して史上7人目のグランドスラムを含む通算15勝をあげるなど、プロとしての輝かしい活躍にも触れて「選手としての立場とそのあとの会長としての立場・・・。しんどいこともあった反面、2つの道を歩めたことは本人とっても嬉しいことだったと思う。潔い生き方だった。本当に、かっこよい人だった」。
64歳で幕を下ろした激動の人生に、心からの敬服の念を示した。

島田幸作・前会長のプロフィールはこちらから

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