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KBCオーガスタ 2007

小田孔明「明日は8アンダーで逆転!」

執念の「66」だ。こみあげる胃液をこらえて通算8アンダーは6位タイ。会心のティショットは165ヤードの8番パー3だった。9番アイアンで、あわやホールインワンのOK距離にピタリとつけた。これに気をよくした次の9番。
18メートルのバーディパットがカップに沈む。
昨晩の悪夢がウソのように、快調にスコアボードを駆け上がる。

強烈な吐き気を催したのは前日の夜9時だった。
寝床につくなり異変を感じた。トイレにかけこみ、少し吐いた。
それが呼び水となって、便器を抱えまま動けなくなった。

経験したこともないような激しい嘔吐に恐怖を感じ、救急車を呼ぼうと思っても、立ち上がることすらできない。
胃の中のものがほとんど出尽くしたときには、2時間あまりが過ぎていた。
そのまま、倒れこむように朝6時まで目を覚まさなかった。

結局、医者に行く時間もなかったから原因は分からないが、おそらく熱射病にかかっていたのだろうか。
朝も食欲はなかったが、ここで棄権するわけにはいかなかった。
開催コースの地元・福岡県出身。
「毎日、たくさんの方に応援してもらってるしですね」。
週末のこの日は、ますます大勢が駆けつけるだろう。
その人たちのためにも、精一杯のプレーを見せたい。
バナナ1本だけ口に入れ、この日も気温30度を超える酷暑のなか飛び出していった。

期待に応えるプレーぶりを披露して、最終日を前に首位と7打差。
「縮められない差ではない。明日は8アンダーくらい出して逆転したい」。
中国三国時代の名武将の名を持つ29歳は諦めない。
虎視眈々と“天下取り”をもくろむ。

小田孔明(おだこうめい)
1978年6月7日生まれ。福岡県田川市出身。
三国志のファンだった父・憲翁さんが、特に「赤壁の戦い」で活躍した諸葛孔明(しょかつこうめい)に憧れて、その名を取った。
ゴルフを始めたのは小1のときだった。
憲翁さんが、手嶋多一の父・啓さんが経営する練習場のメンバーだった。一緒に遊びに来ていた小田に、啓さんが目をつけた。「体格が良いからゴルフをやってみないか、と言われて」。
そのころ、手嶋はすでに福岡の怪童と呼ばれており、九州ではその名を知らない人はいなかったという。
「どうせやるなら多一さんのように、全国的に有名な選手になりたい」と、小田がプロ入りを意識したのは小5のとき。東京学館浦安高に特待生で入学。2000年にプロ転向を果たし、2003年にマンシングウェアオープンKSBカップでツアーデビュー。
昨年のファイナルQTランク5位の資格で参戦した今年、獲得賞金は3400万円を超えて初シード入りを果たした。

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