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カシオワールドオープンゴルフトーナメント 2006

原口鉄也「コースにリベンジ感がある」

この日は1日中、雨模様。日没が迫った後半から途端に辺りが薄暗くなったせいもあり、いくつか惜しいチャンスを外したものの「今日はほぼ完璧なゴルフ」。
ティショットで、フェアウェーをほとんど外さなかった。
全ホールでパーオンにも成功して、グリーン上も「タッチが合っていた」。

ボギーなしの66、6アンダー首位タイに「久しぶりなんで照れちゃいました」と、笑った。

現在、賞金ランクは上位70人のボーダーラインを大きく上回る56位。
初シード入りを果たした2000年以来の復活を果たしたが、今季ファイナルQTランク16位の資格で参戦している原口には、先々週の三井住友VISA太平洋マスターズと、先週のダンロップフェニックスと2週続けて出場権がなかった。

「試合をテレビで見ていてウズウズした」。

逸る気持ちで迎えた今週は、自身にとっての最終戦。
「最後なので、思い切りやろう」。
そんな思いをぶつけたこの日初日の好発進。

開催コースのここkochi黒潮カントリークラブは、因縁の地だ。
2002年からの3年間、翌年のツアー出場権を決めるファイナルQTの会場でもあった。
原口は、2002年と2003年に挑戦。
しかしランク75位に続いて翌年には予選落ちと奮わなかったのだ。

「ここでボロボロになった記憶がある」。
だからこそ、「今度は負けない、というリベンジ感がある」と原口は言う。

このコースを去るときはいつも、最悪な心境だった。
「いつも、死んだように家に帰った」という。

嫌な記憶を払拭するには、このまま最後まで優勝争いをするのが一番だ。
出場権がないころは、あんなに狭く見えていたフェアウェーが「今年は広く見えるから・・・。今年こそ、笑って家に帰りたい」。
手土産が、ツアー初優勝なら申し分ない。

原口鉄也はらぐちてつや
和歌山・那智中の89年と、東京学館浦安高の91年に日本ジュニアで優勝。さらに日大進学後は96年春に関東アマ、秋には日本アママッチプレーを制覇。
小5のとき、ヒジを壊してゴルフに転向した元・野球少年は、めきめきと頭角を現して97年のプロテストで一発合格。
2000年には初シード入りを果たしたものの、翌年には頚椎の椎間板ヘルニアを患って2002年には出場権さえ失った。
懸命のリハビリとトレーニングで今季ファイナルQTランク16位の資格で出場権を取り戻し、賞金ランク56位でみごとシード復活を果たした。


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