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日本オープンゴルフ選手権競技 2005

川岸良兼「前向きな気持ちを、忘れない」

ここ廣野ゴルフ倶楽部は狙ってバーディが来るようなコースではない。
深いラフ、うねるフェアウェー。砲台になった小さなグリーンの周りには、アゴの深いアリソンバンカーが取り囲む。
「1打1打一生懸命やっていて、気がついたらバーディをいっぱい取っていたという感じ。今日はパットが入りまくり。どうしちゃったんだろう、というくらいに」。

13番からの5連続バーディ。特に、長いパットが良く決まった。
14番では、12メートルをねじこんだ。
「ラインも強さも違ってたのに、ど真ん中から入ってた。入ってなかったら、グリーンを出ちゃうようなパッティング。・・・まぐれですね」と、笑った。

5番や7番、8番では2メートルのチャンスを外しながら、5連続目の17番と、最終ホールの9番では10メートルを入れた。
先週まで、パッティングで悩んでいたのがウソのよう。
「なんか、長いほうが入るような・・・。うまくいくときは、そんなもの」と、笑いが止まらない。
ラインを読んで、目標に構えたらすぐに打つ。あれこれ、悩むのをやめたら「ストロークが、スムーズになった」という。

日大4年のときに、東京ゴルフ倶楽部で行われた88年の今大会でローウェストアマ(ベストアマ)を獲得。
翌年の89年、鳴り物入りでデビューしてその年3勝。
怪物、とまで呼ばれ騒がれた男が、ドン底まで落ちたのは2001年だった。
「誰にも真似できない。理想のスイング」を追い求めて迷路にはまった。ティショットのイップスに侵された。

11年間守り続けたシード権はおろか、ツアーの出場権さえ失って「もう、(プロを)やめたい。生きていてもしょうがない」とまで思いつめた。

この日、リーダーのインタビューで「やめたい、と思った時のことを話してください」と報道陣に促されたとき、苦笑いを浮かべて言ったものだ。

「いいの? それを語ると、すご〜く長くなっちゃうけど・・・」。
その3年後に、再び復活するまでの道のりは、とても一口では言い尽くせない。

落ちるところまで落ちて、「最近は、どんなことがあっても悩まなくなった」。新境地を見出した。
「変なこだわりをやめて、みんなと同じことをしよう、と。ポンと打って飛ばす。いまどき流行のスイングで、妥協した」。
そこに、トンネルの出口があった。

はじめてクラブを握った10歳から28年間のゴルフ人生で、初の廣野でコースレコードタイの66をマークした。
技とともに、精神力が何より問われるこの舞台では「常に前向きな気持ちが必要。明日からも、それを忘れたくない」。

プラス思考を貫いて、完全復活といきたい。

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