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ゴルフ日本シリーズJTカップ 2004

加瀬秀樹「中年の俺が頑張って、なんとかファンを引き寄せたい」

45歳の誕生日を迎えた前日1日水曜日の夜、ふと考えた。
「…もしかして、俺って最年長じゃないか?」。
選ばれた者だけが出場できるこの頂上決戦。9年ぶりに再び立ったこの舞台で、出場26人中、いちばんの年長者が自分であると思い当たって、がぜん、奮い立った。
「…中年パワーで頑張っていきたい」。闘志に火がついた。

この日初日のプレー途中のスコアボードで、「カタカナ文字」の選手が上位を占めたことも「発奮材料」だった。
日本でプレーする外国人選手はもちろん、同じ土俵で戦う仲間だ。しかし、あまりに彼らの優勝ばかりが続けば、「なんだ、男子ツアーは外国人選手ばっかりじゃないか、と言われてしまうのは仕方のないこと。だからこそ中年の俺が頑張って、なんとかファンを引き寄せたい、と思ったんです」。

久しぶりの東京よみうりでも、ベテランの味を発揮して4アンダーで単独2位発進。
3位タイまでの上位6人のうち、外国人プレーヤー5人がひしめく中、加瀬の存在がひときわ輝く。

開催直前に、今大会主催の報知新聞社から、本番前の豊富を色紙に書いてほしいと頼まれた
加瀬は、そこに迷わず「挑戦」と、したためた。

「久しぶりの日本シリーズ。今年の総決算ですべてのものに“挑戦”していこう、と」。そしてそれこそが、今年1年の加瀬を象徴する言葉でもある。

自分よりずっと年下の選手から指導を受けながら長尺パターを握り、井上透氏とプロ人生初のコーチ契約も結んだ。周囲の心配を振り切って始めた、40歳を超えてからのスイング改造は、自身にも不安がなかったわけではない。
大きな冒険には違いなかったが、「なんとか自分を変えたい」。
その一心で、がむしゃらに挑戦を続けた結果が9月、サントリーオープンでの8年ぶりの復活優勝だった。

「どこか身体の調子がよほど悪くない限り、出られる試合はすべて出ていこう」というのが、デビュー以来の加瀬のポリシー。
しかし毎年、ハードルの高いこの最終戦への出場切符だけが取れず、フル参戦はかなわかなったが、今年いよいよアイアンマン賞の称号も手に入れた。

ここに来て正直、「足も上がらない」ほど疲れきってはいるが、それでも、「また何か新しい発見がある気がして。楽しくって仕方ないんだよ!」。
身体にムチ打ってなお、充実の笑みを浮かべていられるのは、この1年間、血のにじむような努力を続けてきたからこそだ。

写真=初日スタート前に行われる恒例のスタートセレモニー。主催者から全出場選手に贈られた花束はもちろん、早起きして千葉県の自宅から応援に駆けつけてくれた妻・文子さんに…。

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