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サトウ食品NST新潟オープンゴルフ選手権競技 2003

『初心に帰っていちからやる』プロ7年目の原口鉄也、1年ぶりのツアー出場で4位タイの好発進

まるで新人のようにドキドキしていた。スタートの1番ティ。手は震え、足も宙を浮いたようにおぼつかない。昨年のアイフルカップ以来、ほぼ1年ぶりのツアー。

「長いブランクのあとで、いったい、自分はちゃんとゴルフができるのか・・・?という自問自答の中での異常な緊張感。あんな気持ちでティグラウンドに立ったのは、久しぶりでした・・・」としみじみ話すのは、プロ7年目の原口だ。

それだけに、大きなプレッシャーの中、7バーディ(2ボギー)での初日のラウンドには、「ホールを進むごとに、『あ、俺もけっこうやれるって気がしてきて、ゴルフが楽しくて仕方なかったですよ」と無邪気な笑顔で振り返った。

名門・日大出身。すでにジュニア時代から名を馳せていた原口は、大学1年のときには日本アママッチプレーと関東アマを制し、常にレギュラーとして活躍。4年次には副キャプテンも務めた逸材だった。97年のプロデビュー後、2000年には初シード入りも果たし、まさにこれからというとき、ハプニングは起きた。

頚椎の椎間板ヘルニアだ。

長年の競技生活で、身体が悲鳴をあげていた。それからは、激しい痛みとの戦いだった。

患部からくる左手親指の痺れは、時には全身を貫くこともあり、「常に、下半身に強い電流を流されているような状態」(原口)。握力は75キロから30キロまで落ち、車の運転さえままならない時期もあった。

電気、ハリ、整体、赤外線・・・良いと聞いたものはどこまでも出向き、あらゆる治療に務めたが、いっこうに良くなる気配はない。痛みのために練習もろくにできず、とうとうシード落ちした2001年は、出場優先順位を決めるファイナルQTにも失敗し、 2002年シーズンは、完全に道が閉ざされてしまったのだった。

だから、今年4月に知人に手術をすすめられたときも、半分は、自暴自棄だった。「あんなにいろいろやったのにダメだったんだから、今回も良くなるはずがない」と、諦めてもいた。

しかし半信半疑で受けた最新のレーザー治療は「2、3時間休んでそのあとすぐに歩けた」というくらいにあっけなく、またこれまでのつらい痛みを思いのほか楽にしてくれた。

術後のリハビリと同時に、肉体改造に取り組む余裕もできた。

学生時代から、身長174センチに対して100キロ前後をうろうろしていた体重。「それが体に負担を与えていた」と、本格的なダイエットに挑戦。陸上男子ハンマー投げの室伏広治選手など、世界のトップアスリートたちのトレーナーを務める小山裕三・日大助教授のきびしい指導を受けながら、ひがな減量に励んだのだった。

1日15キロのウォーキングや食事療法などで、現在は75キロとすっかりスリムになって帰ってきた原口は、これまでのブランクを「絶対に怪我のせいにはしたくない」と言った。

「だってプロは、体のケアも含めて実力なんだってことが、この2年で思い知らされたから。僕よりも苦しみながらやっている人はほかにもたくさんいる。それでもみんな、一生懸命に頑張っているんですから・・・」。

2002年のファイナルQTもランク74位と低迷したため、今年、出場できるのはひょっとすると、出場順位がかなり下まで繰り下がる今大会の1試合だけとなる可能性もある。

しかし原口は焦らない。くじけない。

「それは僕の責任だから。これから、また初心に戻って、いちからやる覚悟はできています」と謙虚に話した。

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