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SMBCシンガポールオープン 2019

タイのジャズが故郷の父に捧げる日本初V

大会は53回目の長い歴史と伝統の中で、タイ出身の勝者は01年のタワン・ウィラチャンと、17年のプラヤド・マークセンに続いて3人目だ。
母国のレジェンドたちを継いでスター街道を歩き始めたのは、23歳の若者。
亜は2勝の経験も、日本はこれが初V。
ジャズ・ジェーンワタナノンドが海外の強豪を振り切り、日・亜の今季初戦で合わせて自身のツアー3勝目を飾った。

1打差2位から出た最終日は、前半5つのバーディで一気に追い抜いた。
3つリードで折り返した後半。
しかし13番では「つまらないボギーを打った」。
世界ランカーのケーシーとフィッツパトリック、そして日本の藤本が1打差と迫った。
「逆転されてもおかしくなかった。あそこでナーバスになった」。
プレッシャーの中で、それでも14、15番ときわどいパーパットを拾った。
「大会前に、過去の間違いやコースでやらなければならないことを教わってきました」。ピンチにこそ、新コーチのコーワン氏と重ねてきた練習の成果を発揮することができた。

16番では長いバーディトライを沈めて再び2打とリードを広げた。土壇場で、いよいよ突き放しにかかった。最後18番のパー5は残り233ヤードを、4Iでピン奥2メートルに乗せる圧巻の2オンで接戦を決した。

初めて日本ツアーに登場したのはプロ転向してすぐの2011年。
当時まだあどけない15歳は、若くしてスター選手にのぼりつめた石川遼を「憧れの選手」と話した。石川にならって10代の頃から各国のトッププロにまぎれて腕を磨き、心身を鍛えてきた。

まだ若いがプロ9年のキャリアに日亜共同主管のビッグタイトルを加えて、勝ったすぐその場でメンバー登録も済ませた。晴れて仲間入りした日本ツアーでは、将来の参戦を目指してひそかに勉強を続けてきたという日本語も生かせる。

昨年の今大会では、4位タイの資格で初挑戦を果たした全英オープン。
「去年、カーヌスティでプレーをしたことは、僕のゴルフキャリアの中でも一番の思い出です」。
2年連続2度目の出場切符も手にして、今度はロイヤルリザム&セントアンズで昨年以上の思い出を作るチャンスも得た。

いまでも十分に舌を噛みそうだが、本名はもっと長い。
名前の「ジャズ」は、ジャズ音楽が好きなお父さんがつけたあだ名を、そのまま登録名に。
若くして、プロ転向を決めた際には「メジャーで優勝してタイの英雄になる」と約束した。
幼いジャズに「同じ国の選手だけでなく、世界中の強い選手と行動を共にしなさい」と、教えてくれた父。
最近、手術を受けたばかりで今週は、病床で息子の帰りを待っている。
「今晩中に、家に帰る。早く父に会って、この優勝を分かち合いたい」。
深夜のフライトも、興奮で眠れそうにない。

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