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日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ Shishido Hills 2019

20回目の光と影。竹谷佳孝は14年大会のチャンピオン

20周年の最終局面も、明るく乗り切りたい
大会主催の日本ゴルフツアー機構(JGTO)の設立とともに、大会は今年記念の20回。
2000年に栃木県那須塩原市のホウライカントリーを舞台に第1回が行われ、2003年の第4回からここ茨城県の宍戸ヒルズカントリークラブに会場を移して、これまで19人の勝者を生み、さまざまなドラマを紡いできた。

竹谷佳孝が主役の一人になったのは、2014年。
今年は、1番のスタンドの壁に大きく20周年の記念ロゴが描かれ、竹谷もしみじみ。

「僕はゴルフを始めたのが遅かったので、20年前といえば伊澤(利光)さん(第1回覇者)など、今ベテランの方々の活躍を、テレビで見ていたころですよ。あれからもう、20年が経つのですねえ…」。

その竹谷が憧れのこの舞台で初Vを、日本タイトルで飾った際も劇的だった。
韓国の李尚熹(インサンヒ)と並んで上り、プレーオフかと思われた。
しかし、11番での李の違反行為が明るみになり裁定が難航。
協議ののち李が2罰打を払い、ものものしい空気の中で転がり込んだ初優勝であった。

「優勝できたことは、本当に嬉しかったですよ。嬉しいけど…いろいろ難しくなった」。
当時は予選会の資格で出ていて「それまでは、ちょこちょこしか出れてなかった僕が急にフル参戦できる、ということになって。その中で、うまく対応できないというのが出てきた」。

ゴルフに転向したきっかけも、山口県の宇部鴻城高校2年時に腰を痛めて野球を断念してから。もともと、持病を抱えていた体は「初優勝して、試合に続けて出始めたらさらにあちこち痛くなり…」。
賞金シードに成功したのも、翌年の15年から2年だけ。
「16、17、18年は痛いし、つらいし。もうやめようかと思ったり…。試合に出られるようになったのは嬉しいけど、苦しかった」と、打ち明ける。

昨年、一昨年は82位、98位と振るわず、今大会で得た5年シードもいよいよ今年、最終年を迎えた。
今季も「痛いところはいっぱい」と目下、左手首のテーピングが痛々しいが「もう、あがいてもしょうがないから」。
いよいよがけっぷちに立たされ、よい意味の開き直りが出ている。

「痛いけど、痛くない握り方をしたり工夫すれば、まだやれる。今年は(5年シードの)最後だけど、そこには特に縛られてない。できればずっと、ここにいたいと思うけど、現状を受け止めて楽しくやるしかない」。
20周年の舞台で39歳の歴代覇者がもがく。

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