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関西オープンゴルフ選手権競技 2016

趙炳旻(チョビョンミン)がデビュー戦V

元・空挺兵は、まさに突如ふわりと舞い降りた。第82回を迎えた日本最古のオープン競技で、またひとつ新たな記録が生まれた。韓国の趙炳旻(チョビョンミン)が、いきなり強さを見せつけた。ツアー史上4人目のデビュー戦V(※)。
「こんなにも歴史のある大会に、出場出来ただけでも嬉しいのに。初出場で、初優勝が出来ただなんて、自分が信じられません」。初々しい優勝スピーチとは裏腹な、5打差の大逆転Vだった。

最終日は、同じ最終組の朴ジュンウォンが、9番のトリプルボギーで早々に脱落した。首位のストレンジもショットに精彩を欠いて苦しんでいた。ずるずるとスコアを崩す2人を横目に「自分は自分のゴルフをする」。マイペースを貫いた。
いかついヒゲと、サングラスの奥で虎視眈々と勝機を見据えた。
16番で、ついにリーダーを捉えた。ストレンジがOBでボギーを打った。この日、初めて単独首位に踊り出た。土壇場の好機も逃さなかった。次の17番でさっそく突き放した。ラフから166ヤードの2打目はフライヤーも計算ずくだ。9番アイアンを握った。5メートルにつけた。「これを入れたら勝てる」と、確信した。睨んだとおりに2打差で突き放して逃げ切った。

賞金王の金庚泰 (キムキョンテ)や、賞金女王のイ・ボミさんとは、ご近所さんだ。目下、賞金ランク1位のキム・ハヌルさんとは昨年まで、同じピラティス教室に通っていた。12歳からゴルフを始め、ナショナルチームにも名を連ねた。「アマ時代はそれなりに結果も残した」。

2009年に、自信満々のプロ転向もツアーの世界は甘くない。勝てないまま2年が経った。すっかり嫌気がさしていた。「プロはもう諦めよう」。ゴルフへの思いも断ち切ることにした。なかば自暴自棄で、韓国成人男子に課せられた兵役に赴いたはいいが、なんと趙(チョ)が自ら志願したのは特殊部隊。最高難度の体力テストをパスして入隊した“空挺兵”の訓練は、本人の想像を超えていた。

高度約1200メートルから、パラシュートで降下を繰り返す。「飛び降りるのは凄く怖いが、飛ぶしかない状況まで追い込まれる。とても勇気が要った」。V争いのプレッシャーとは比べようもない恐怖の連続。おかげで「緊張したり、慌てたりすることがなくなった」。度胸がついた。忍耐力もついた。体力的にもキツかった。今でも思い出すのが鬼教官の監視下で、繰り返される腹筋運動。

「50分間、足を直角に上げたまま。1ミリでも動いたら罰として、走らされてまたいちからやり直し」。それを1日、延々と繰り返す。「ゴルフのほうがずっと楽。訓練に明け暮れる毎日で、考え方が変わった」。

2012年1月の入隊から、丸2年。ゴルフを諦めるための日々で、むしろ情熱が再燃した。「またゴルフがしたくなった」と施設内の練習場で、再びクラブを握ったのは、任期満了を3ヶ月後に控えた2014年夏のこと。「軍隊を経験して、前向きになれた」と、再びツアーで戦う決心がついた。思い新たに、プロの世界に舞い戻った。

色白で、ひょろりと痩身の韓国勢が多い中でも異彩を放つのは、その経歴ゆえである。屈強な体。精悍な風貌。パワーがみなぎる。
誰もが悲鳴を上げた今週の難コースも「OBを打たないように。僕も緊張して打ちました」と息を吐きながらも、そんなスリルをどこか楽しんでいるようでもある。「いま振り返れば軍隊で、良い人生経験をしたと思います」と、頷いた。「でも、二度と戻りたくはないけれど」と、サングラスを外した笑顔は人なつこい。

ファイナルQTランク25位の資格を得た今季は「日本で戦う」と、今週は庚泰 (キョンテ)も出ている韓国ツアーの「SKテレコムオープン」と日程が重なっても迷わず日本ツアーでのデビューを選んだ。
今季国内開幕戦から3戦は、出場権に恵まれなくとも日本での“プロ初戦”になった4月のチャレンジトーナメント開幕戦「Novil Cup」で、その片鱗を見せていた。「あの大会で、2位に入ったことが僕の契機になった」と、鮮烈デビューにつなげた。

いきなりシード選手の仲間入りを果たして「これからは日本ツアーに全部出られる」と、大喜びだ。「今年はまだたくさん試合が残っていますが、楽しくプレーをして、また優勝出来たら嬉しい」と、これから日本でまだまだ勝つつもり。
初めての優勝スピーチは、マネージャーの楠谷尚美さんの通訳に頼りきりだったが、「次の優勝はぜひ日本語でやりたいと思います」。
元・空挺兵の強さは、きっと並じゃない。

※1973年のツアー制度施行後、初出場の大会で初優勝を飾ったのは、重信秀人(1979年中四国オープン)と渋谷稔也(1984年九州オープン」と石川遼@(2007年マンシングウェアオープンKSBカップ)。趙炳旻(チョビョンミン)はそれに次ぐ、史上4人目(招待外国人選手をのぞく)の快挙でした。

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