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三井住友VISA太平洋マスターズ 2015

最終日は中止、片山晋呉がツアー通算29勝目

貫禄のツアー通算29勝目は、かつて味わったことのない優勝シーンになった。54ホールの短縮Vは経験がある。「だけど、最終日の朝に優勝が決まるのは、これが初めて」。最終日の御殿場は、前日からの大雨がやっと止んだと思ったら、気温の上昇とともに深い霧にのまれた。スタートが30分遅れた上に、中断が続き、晴れる見込みのないまま時間ばかりが過ぎていき、ついに競技中止の一報は、練習場で聞いた。

戦わずして、転がり混んだ勝利に、さすがのベテランも「複雑な気持ち」と戸惑った。72ホールで、堂々とバッバと決着をつけたかった思いと、どんな形であれ勝てた安堵と喜びと。「今まで頑張ってきたご褒美をもらえたのかな、という思いと」。入り組む気持ちを抱えてクラブハウスに戻ってきたら、選手会でギャラリー向けのデモンストレーションを開こうと、パッティンググリーンに選手たちが勢揃いしており勝者として堂々と、輪の中に入っていけばいいのに、なぜか腰が引けた。

「なんか、いいのかなあ、って・・・」。こんなに恐縮しながら勝ったのも、初めての経験。「ああしてみんなにお祝いしていもらうのも、普通は勝った次の週じゃないですか」。現場で次々と差し出される右手を握り返して、42歳のベテランが照れた。

3日目を終えて1打差の勝利は、「やはり昨日の16番」。前の木に遮られ、ラフからラフを渡り歩いた窮地から、3メートルのパーパットをしのいだあの1打。「3日間で、ボギーがたった1個というのも大きかった」と3日間とも誰にも引け目のない好ゲームを続けてきたとの自負を、やっと取り戻して胸を張る。「悩んだときは三井、住友、VISAカード! このリズムで振って、勝てました」と、主催者を喜ばす。

勝てそうで、勝ちきれなかったこの3ヶ月ほど。3週前にも日曜日に負けて、帰って、迷って、予約を入れておいたジムにやっぱり行った。あそこでふて腐れて家にいたらこの優勝もない。「そういう小さなことが、大きな事につながっていく」。

霧の御殿場には覚えがある。2008年に、今野康晴との霧中のプレーオフを制した。「あのあとは5年も優勝がなく、時間が止まってしまった」。翌2009年のマスターズで4位に入ると「情熱も、何もかもなくなって、スイッチがなくなってしまった」。目標を見失い、戦う気力をなくして、さまよい続けた。

「ダメなときにも変わらず支え続けてくれた人たちがいた」。5度の賞金王は、30代半ばで燃え尽き症候群にかかったことで、人の弱さや優しさを知った。「若いときは、我が強くて当たり前だけど、失礼なこともあったかもしれない」。自分のためだけに、ひたすら頂点を睨み続けた時代はもう終わった。「今は、試合に出られるのは周りの人たちのおかげで、そんな人たちに喜んでもらいたいという気持ちが強い」。今週、バッグを担いでくれた乾芽衣(いぬいめい)さんや15年来のマネージャ−金魚潤一郎さん。「最近、体力の回復が遅いからトレーナーさんも毎週、大変だと思うんですよ」。年齢を重ねるにつれて、人々の惜しみのないサポートがますます心に染みるようになった。

昨年から、自らの名を冠したマッチプレー戦をたち上げて、もてなす側の苦労も知った。「前から頭では分かっていたけど、トーナメントは本当に、たくさんの人たちの力で成り立っているんだと」。近頃では少しでも日頃の労をねぎらいたくて、普段から馴染みのボランティアさんに、積極的に話しかけるようになった。
特に今大会は毎年、選手会のアンケートで「一番好きなトーナメント」の1位に輝き、ボランティアのみなさんにも大変な人気があり毎年、参加者のウェイティングリストが出来るほどだという。

単独首位に立った前日3日目はまたいつものように、練習をして身体のケアを済ませたら、18時半をとっくに過ぎていた。片山の姿を見つけたコースの方が、「晩ご飯を食べていって」と誘ってくれた。お言葉に甘えてガラス張りの瀟洒なレストランで舌鼓をうった“勝負メシ”は本当にどれも美味しく「メンチカツでしょ、牡蠣フライでしょ。僕は鉄火丼も頂いた」と、改めて大会のホスピタリティーに感動したばかりだった。「これからも長く長く、大会を続けていただきたい」との思いを新たにした。

奇しくもまた霧の御殿場で手にした大会2勝目は、「今回はここから時間が走りだすのではと、自分に期待している」。もう二度と足踏みしない。毎週、一度は必ず自宅近くの本屋に立ち寄るという無類の読書魔は、先週の日曜日にもまた心震わせる文章を、スマホで撮りだめした200を超える“名言写メリスト”に加えていた。
片山が語った内容をこれまた短く要約すると、最強と言われる猛禽類の逸話だ。“40歳”で山の頂上に登って、自らのクチバシを岩肌で砕き、爪を剥ぎ、羽をむしり、生まれ変わりに成功した鷹だけが“70歳”まで生き延びられるという。これに自身を重ね合わせて深く感動した片山は「これからも変化を恐れずやっていこう」と、心に決めた矢先にまた新たな勝ち星を掴んだ。

3日間の短縮競技は、規定により加算賞金75%のため、ジャンボ尾崎に続く史上2人目の生涯獲得賞金20億円越えには93万9291円足りずに「それもまた、僕らしい」と楽しそうに、「次は、プロ入り20年目の30勝で、20億円というのを狙いたい」。
これで、今年の賞金ランクは4位に浮上。「今から賞金王を狙うというのはない。年間5勝した人を称えたい」と金庚泰 (キムキョンテ)への敬意は忘れず、「僕は、今年中に30勝できれば最高です」。来年は43歳にして、リオ五輪の強化選手にも名を連ねる永久シード選手はここからまた、新しく生まれ変わって雄々しく羽ばたき続ける。

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