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薗田峻輔が怪我からの復帰V、圧勝のツアー通算2勝目【インタビュー動画】

王様が、たくましさを増して帰ってきた。3日目に61のコース新を出した薗田が、今度は最終日に大会レコードを塗り替えて圧勝を飾った。

今年は1月に左膝の半月板を壊し、2月20日に手術に踏み切り、その翌日にはさっそくリハビリを受けたが、直後は「一歩も歩けない。こんなんで、大丈夫なのか」と、よぎった一抹の不安。開幕には当然、間に合うはずもなく、やっとまともに練習出来たのも、5月の声を聞いてから。「これで優勝も、遠のいてしまった」。いまツアーに吹き荒れる20代旋風にも完全に、乗り遅れたと思った。

6月のダイヤモンドカップでようやく初戦を迎えたばかりで、特別保障制度を最大限に活用して、なんとかシードにはしがみつこうと、そんな切羽詰まった気持ちでいたから「そんな自分がもう勝てるなんて。本当に想定外でした」。

2010年に、デビューから5戦目の初Vは、JGTO発足後としては当時の最速タイ記録の逸材は、復活Vも速かった。復帰4戦目のV争いは、しかしあの石川遼が、「王様のゴルフ」と評したジュニア時代も含めて「今日が一番、緊張した」という。

11アンダーを出したからこそ、明日が怖い。よく言われることだが、大量アンダーを出した選手は翌日に伸び悩む傾向が大いにあるから、「久しぶりの優勝争い。明日は俺も、全然バーディが取れないんじゃないか?」。懸念は仲間との「バカ騒ぎ」で、吹き飛ばした。最終日の前夜も、大親友の小平智との食事で「寝るギリギリまで無駄バナシ」で気を紛らわした。翌朝は、周囲に緊張していることを悟られないように、「峻輔は変わらないなあ、と思われるように」。何でもない風を装い、わざと明るく振る舞った。

いつもV争いの朝は、シン…と静まりかえったティグラウンドで、「自分の心臓の音だけが聞こえてくる。今日はいつも以上に聞こえた」と、経験したこともないプレッシャ−も、しかし2打差の首位で迎えたこの日は、最後に自分の名前が呼ばれた瞬間に、「なぜか不思議と消えていた」という。

約半年のブランクも、戦う本能はさび付いてはいなかった。松山英樹が猛チャージで、一時は首位に並んだが、前半はスコアボードがないから、状況を知るよしもない。今年は60位タイまでの81人が決勝ラウンドに進んだ大混戦も、激しい伸ばし合いも、昨年までの大会記録の「19アンダーなら勝てるだろう」と薗田も難なくバーディ戦に乗った。前半は4つのバーディで、あっさりとノルマを果たすと後半は11番で、最多アンダー記録も塗り替えた。

2年前に、同じトレーニングジムで知り合ったダルビッシュ有選手。このオフは薗田も怪我の治療と「週6」のリハビリとトレーニングで、顔を合わせることが増えて、「おまえ、まだいたの?」と呆れられたこともしょっちゅうだった。それくらい本当に毎日1日中、朝から晩までジムにいた。「怪我をして、それくらいしかすることなかった」。午前中はトレーニングの合間にBS放送のPGAツアーを見て、「3時ごろから今度は東建」。開幕戦の東建ホームメイトカップをテレビで見て、リハビリの励みとした週も。

「怪我をしたことで、身体に費やす時間が増えた」という。自分を見つめ直して、弱点強化に力を入れた。「今までとは、1日の疲れ具合が全然違うと感じる」。試練を味わい、心身ともにたくましさを増して戻ってきた。
今大会は、2010年にプレーオフの末にV逸に「今日は絶対に持ち込まないで勝ってやろう」。そんな薗田の心を見透かすように「今度は勝てて良かったですね」。リベンジの優勝杯で、ミスターに、そんな言葉をかけられ感無量だ。

国民栄誉賞の英雄は、大会名著会長の長嶋茂雄氏から「おめでとうございます」と声をかけられ、胸一杯。3年前は、涙のツアー初優勝だった。今回は怪我を乗り越えV2に、ほんとは涙が出るほど嬉しかった。
でもミスターの手前、どうにか堪えた。なんせ復帰から、まだたった4戦目。「あいつ、言うほど苦労してないじゃん。それなのに簡単に泣くんだな、なんて思われたくなくて」。
ツアー通算2勝目ともなれば、意地でも余裕の笑顔で通してみせた。

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