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日本オープンゴルフ選手権競技 2011

シード復活にかける佐藤信人が単独3位に

左の林から、ラフを渡り歩いた最難関の最終18番で、4メートルのパーパットをしぶとく拾った。通算3アンダーで上がってきた佐藤は、「上出来です。最高です。自分がこんな位置にいられるとは。まさか思っていなかったので」。

ツアー通算9勝。年間4勝を上げて、片山&谷口と、三つ巴の賞金王争いを演じたのは2000年。同年には日本プロ制覇。賞金ランクで自己最高の2位につけた2002年には日本ゴルフツアー選手権や、日本プロマッチプレーでも勝った。

2003年には、意気揚々と欧州ツアーに本格参戦。華々しいプロ生活に、陰りが見え始めたのもこの年。
異国でパッティングのイップスと、ひどい腰痛を持ち帰ってきた。それを境にぱたりと勝てなくなったばかりか、そのあと賞金ランキングもボーダー線上をさまよい、ついに2009年にはシード権はおろか、出場権すら失った。

戦う気力すら失い「ウツかもしれない」と、打ち明けたこともある。
華やかな舞台から姿を消したこの2年間で、地獄を見てきた。復活をかけて、もがきにもがき続けた。
41歳を迎えたいま、ようやく「どん底から脱した感じがある」。
その鍵は、「どんな自分も受け入れること」だった。

課題のパッティングにしても一時期は、狂ったように道具を取っ替えひっかえしていた。
「両腕が、全部神経になったみたい。敏感になりすぎていた」。
緩んだ、といっては悩み、パンチが入ったといっては落ち込んだ。
「そういう過剰反応をやめた。そのたびに、打ち方を変えるのもやめた」。
昨年からメンタルトレーナーに師事して、思考回路も前向きに、かつてのパットの名手が、よみがえってきた。

今季は主戦場のチャレンジトーナメントで「若手から元気をもらい、ベテランから勇気をもらう」。ミニツアーにも積極的に参戦。普段のラウンドでも、「試合の緊張感を持って回っている」と、大会独自の予選会で出場権を手にしたこのゴルファー日本一決定戦が、今季3戦目であっても試合感が錆び付いた素振りもなく、こうして優勝争いに加わってこられたゆえんだ。

昨年末から日課に毎日5㌔のランニングを始めた。「試合に出られないと、いくらでもダラダラしてしまうので」と、自分にカツを入れるつもりだったがその心地よさに、惜しくも抽選には漏れたが東京マラソンにもエントリーしたほどの、ハマリようだ。

「走って若返ったわけではないけれど、衰えてもいない。腹は出てきたけれど」と、言って左手でポンっと良い音をさせて見せた明るい笑顔も、2年前にはなかったものだ。
「試合に出られない今のほうが、充実感がある」と、心は確実に若返って戻ってきたこの大舞台。
「優勝・・・とか、トップ10とかいう目標は今のところはない。最初から何も考えていなかったので」と、本人も予想外のV争いに、週末のプランはまだ何もない。
「明日になれば緊張するだろうし、その中で普段やっていることがどれだけ出来るか試してみたい」と、ベテランが新人のような初々しさ。「その結果、カムバック出来たら最高ですね」と、希望も捨てない。

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