つるやオープン 2000

大会記事

「2000年/プレーヤーたちの挑戦 」田中秀道

  • photo1

 98年、日本オープン。田中は、歴史に残るにふさわしい名勝負を展開した。

 2位の尾崎直道と2打差をつけて迎えた18番ホール。ドライバーでの第1打を右の林へ打ちこむ。しかも松の根元と、最悪のライだ。
9番アイアンでのリカバリーショットは目の前の木に阻まれてコースを逆戻りし、さらに林の奥へ。大ピンチだ。
 しばらく思案する田中。意を決し、短く握った6番アイアンでアドレスを決めた。狙うは、わずか50センチの木の隙間から見える、グリーンだった。
それは、辛くもグリーン左端に届いた。パーパットは2メートルもショートしたが、田中は最後まで冷静だった。このホールをボギーで逃げ切った勝ちっぷりは感動を呼び、ますます“ヒデミチファン”を増やしたこの年。他にアイフルカップ、DDI沖縄オープンの計3勝と、出場30試合中8度のベスト10入りという好成績で、賞金ランク3位に入った。


2000年の開幕第2戦・ダイドードリンコ静岡オープン会場でインタビューを受けるたび、田中はこう繰り返した。「今年の僕の目標は、98年以上の成績をあげることなんです」。
あの年以上の成績を上げるということはすなわち日本の頂点、賞金王しかない。
田中は言う。「アメリカで頑張る丸山(茂樹)さんのあとを継いでいきたい。もっともっといいプレーをして、お客さんを会場に呼びたい。そして、ゆくゆくは僕も海外を舞台にしたいんです」聞いているうちに、田中の夢は次々と広がっていく。
静岡オープンの優勝スピーチでは、自身を「ケガに泣かされたチビッコ」と称した。身長166キロ、体重は58キロ。ウェストは女性並の60センチを切ることもあるという。華奢な体を目一杯使って、ドライバー平均飛距離は272ヤード(98年実績)。 “小さな飛ばし屋”と賞賛をあびる反面、故障も多い。
昨年は、遠征先の全英オープン(7月)で痛めた左ひざの故障に、ツアー終盤まで苦しめられた。棄権・欠場を繰り返し、賞金ランクは前年の3位から12位まで転落。海外2試合を含め、出場24試合中、優勝1回、ベスト10入り9回という結果を見れば、効率は悪くない。しかし、自分にとってはけして満足できるものではなかったという。


「プロ選手ならば、どこか小さい痛みとかを抱えているのが普通だとは思う。でも、それにしたって僕には大きな故障が多すぎる。
5年間、ツアーで戦ってきて、故障のない年が1度もないのは不甲斐ないことです。賞金王を取りたいというならば、故障の数を少しでも減らしていかなくては。昨年は、故障もあって22試合(国内)の出場でしたが、今年は故障なしで21から25試合くらいにスケジュールを絞り、なおかつ賞金王を手に入れたい。そのためにも、今年最大のテーマは『故障のない年』にすること」


いつもなら、ハードなトレーニングに励むオフも、「いつも『トレーニングトレーニング』とがっつき過ぎだった」と反省。今年はまず、体をゆっくり休めることに専念したという。ラウンド練習も入れこまず、「遊びのゴルフ」と割りきって気楽なプレーを心がけた。
そして、手にした開幕2戦目の勝利。目標にむけ早くも一歩を踏み出したのだ。


» 前のページに戻る

関連記事

広告